Ongoing Collective DIARY

20年前の日記・開帳
2019年5月9日
20年前の日記・開帳

 

我が家の庭では待ち焦がれた春陽の昼間の空中に、サクラ、コブシ、ユキヤナギ、ヤマブキ、タンポポなどが競って開花しまたは花弁を風に散らし、ヒヨドリ、シジュウカラ、コガラ、アカハラ、ホンドリスたちが賑やかに飛び回っております。
しかし昨晩はマイナス2度。
まだ朝晩はストーブの火を落とせない八ヶ岳からお送りいたします。

 

あらかじめすみません、自分の誕生月3月に日記の順番が回って来るものとばかり思って、油断して深酒しておりました。春佳さんご提案のリレー日記、とても良い企画だなと思いつつ皆さんの日記を肴に、いつも楽しく拝読しております。 全く個人的な意見ですが、日記を書く人がそう望む場合には、画像データをテキストと一緒に表示出来るオプションがあるならばより多彩な表現になるかもと感じております。追々ですかね?酔っ払いの御提案まで。(すみません、今ご連絡頂き、画像添付可能だそうです!!)

 

さて、と言ってもいざ書き出そうとすると、よせばいいのにまた文章に凝り始めて終わらなくなりそうで、個展も近いし、アトリエも片付けないといけないし、明日は小学校児童との鑑賞の授業だし、どうしようと思いあぐねていると、ふと先日、ベルギー留学時代の古い日記帳を発見したことが思い出されました。
恐る々々(と言えば大袈裟ですが、進歩無き自分が白日の下に晒される事はやや恐ろしい)開いてみましたが、まあいいや。20年前のコレを書き写すことにしましょう。

 

*【 】は2019年現在の私による補足です。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~
1999年5月8日(土)
つばめ見る。
夕方起床。京子【当時の同居人。現妻】は午後MUHKA【アントワープ現代美術館】のオープニングへ。私も行ったが既に閉館【笑】。ギャラリーを廻ってGB【スーパーマーケット】で買い物をして帰宅。夕食はGBで買ったニシン。
銀行のカウントがマイナスになっていて驚いた。月曜日に両替しなくては。

未明に絵一枚(50 x 50)描く。

 

【ここ長野と同様に春の訪れの遅いアントワープ。ツバメが飛来することは春がきた証でありとても喜ばしかったことを覚えている。暖かくなると大量のツバメが渡って来て、彼らも嬉しそうに空を飛び回っておりました。】

 

1999年5月9日(日)
朝十一時頃、寝る。夕方、起きてキャンバス作り。
フルカン【近所のトルコ・スーパーマーケット。激安】へ買い物。
夕食は鶏の丸煮。夜もキャンバス作り。
釣りへ行きたい。

 

1999年5月10日(月)
午前中寝て、夜、起きた。
丸十二時間ひっくり返った時間を生きていて、どうしようもない。
少し夜は蒸し暑い。生活を直さなくては。

 

1999年5月11日(火)
二時頃起きて、家に電話。父さんと希と桃ちゃんと話す。研の新宿の住所を尋ねたのだが、すぐに分からないので明日、又、掛け直すことにする。皆、元気そうだった。母さんは未だ帰宅していなかった。
昼食後、夕方、フナック【CD /本屋】→GB→ペーパーミル【画材屋】と買い物をして帰宅。

夕食はチャーハン。深夜、久しぶりにビールを呑み制作。

90 x 70 一枚仕上げた朝だった。

 

【留学中はアパートの部屋に電話もテレビも無かった。当時、有料の電話交換所というものが街中に沢山あり、そこから日本に電話をしていた。500円/15分位?だったか知らん。念の為書くが、パソコンも携帯電話も、インターネット環境も、勿論無かった】

 

1999年5月12日(水)
昼過ぎ二時起床。(早朝五時頃、絵を描き終えて、寝る前にフリッツ【フライドポテトのこと。ちなみにフレンチ・フライとの呼び方は誤りで、正確にはフレミッシュ・フライ。フライドポテトはベルギーのフランドル地方発祥です。アントワープの街中にも何十件となくフリッツ屋が存在しております】を買いに出たが、流石にそのような朝に開いている店は一軒も無く、帰宅して就寝した。朝七時か八時頃)。
家に電話。父さんが出て昨日尋ねた研の新宿の住所を聞く。父さんしか家に居なかった。

フルカンで買い物して、帰宅し昼食。
夕方、ディ・スティル【画材屋】でキャンバス買う。アカデミー近くの道は本当に久しぶりに通った。駅近くのクラウドヴァット【健康志向の生活雑貨屋】にシャンプーを買いに行ったが、今使っているものと同じものが無く帰宅。
キャンバスつくる。夕食。今日は朝からやたらくしゃみが出る。アレルギーの非道い一日だった。


1999
年5月13日(木)
昨晩、私の絵のオールオーヴァーの一つの起源を思い出した。それは清友ハウス一号室の冷蔵庫だ!間違いなく。

 

三時起床。
何か壁の向こうは共産圏(?)ですぐ壁の縁を向こうの国の電車(貨物列車)が走っている。そこへ私は落ちてしまい(わざと?)貨物の上へ落ちる。
向こうの国の少年が(痩せて真黒にススで汚れているが、私に親切)何故か「バイアグラポテトチップス」を食べていて、こっちの国ではその様な少年(確か六歳とか言った)が既に女性を知っていて、そんなものを食べているのかと驚く。
何かその後列車は逆に走り、敵の兵隊が二人、私と少年を騙してニセの鉄砲を渡す。射たねばならぬ時に銃弾は出ない。しかし少年と私は、その二人を倒し(何故か最期、その敵兵は包帯で巻いた様な、エビの様なものになって死んだ)自分の国へ再び壁を乗り越えて帰る。学校の教員室の様なところへ逃げ込み敵の銃を渡すと、一人がしげしげと見つめていた。少年は傷を負っていた。
そんな夢で目覚める。
少し大きな絵を始める(100 x 90くらい)。
ずっと描いていたのか、確か夕食は夜九時ごろ食べた。
京子は風邪で寝ていた。

 

【「清友ハウス」は私が二十歳まで育った新宿区矢来町79番地にかつて存在していたアパート。我が家の「冷蔵庫」には、怪獣、アニメ、ヒーローや駄菓子のオマケ等の、様々なシール、ステッカーがベタベタにビッシリとオールオーヴァーに張り巡らされていた。アレを許してくれた親に感謝するしかない。新宿昭和少年】

 

【当時、時々夢を日記に記録していたが、今この駄文を読み返しても夢の中の情景を全く思い出せない。なんだよ「バイアグラポテトチップス」って?しかも『射たねばならぬ時に銃弾は出ない』とか、フロイト主義者が喜んで飛びつきそうな象徴性。当時そんなことでは悩んでいなかったはずだけど…。日記を読み返すとこれらの日々、絵はよく描いていた様子。他の日には、17日にギターウルフ、18日にLoveやGreatful DeadのCDを買っていたり、9,900BFのDe Armondの中古ギターを狙っていたり(買えばよかったのに)、マルクス兄弟の映画を見に行ったり、魚釣りに行って興奮したり、深酒しバーカウンターから転落して反省したり、画集屋巡って感動したり、大江健三郎や開高健ら、戦後民主主義の作家を多く読んでいた。上記の夢などは大江の小説の影響もある様な気がする。「ビッグフットの謎」(アメリカ人生態学者の書いた分厚いUMA本)などもこの頃読んだ。
つまり。
あまり進歩がないなあ、君は?!ちょうど20年前の三十歳の俺よ!!】

 

おわり
~~~~~~~~~~~~~~~~~
機会があれば是非また何か書かせて頂けたらと存じます。
ここまでお読み下さった皆様、大切なお時間の中、最後までお付き合い頂きありがとうございました。
長文乱文駄文深謝。

 

小川格

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