Ongoing Collective DIARY

2020/04/05 「考える練習だけしてよう そしたら何かが変わるかも知れない」
2020年4月5日齋藤春佳

「チャーハンだよ〜!」と起こされる。起きるとチャーハンがあった。今年2回目のチャーハン。1回目はマキファインアーツ帰りに玲子ちゃんが教えてくれた中華屋で、3人で食べたチャーシューたっぷりで自分がちゃーしゅーになったきもちになっちゃうおいしいやつ。全然生きてて自らチャーハン食べないんだけど、水曜に仕込んだ煮豚のかけらのチャーシューが入ったチャーハン、とっても絶妙にいい塩加減で、一番最高の状態のイデアみたいなチャーハンですごい。本当に料理がうまいねと言う。美味しくないチャーハン今までの人生で食べすぎてたのかもしれない、チャーハンのことを朝から好きになった。


お昼が過ぎた頃に、今度はドーナツを揚げてコーヒーをいれる。やりたい放題だ。


ふと目に付いたリバーズエッジを読み返したら、最高すぎた。というか、かみの漫画久しぶりに読んだけど、全然違う、画面の味わいの違い、あと、このことが電波的にどこにもつながっていないゆえにつながっているというような気持ち。誰もいない。自分がいる。欲望の方向、逆流、川沿い、二回流される涙、平坦な戦場。起こる比喩全てを感じとって読めることの幸せを以前は思っていたけれど、久しぶりに読んだら、わかんなかった登場人物のきもちがわかった。三人くらい。自分は当時人間じゃなかったのかもしれない、人に岡崎京子ではこれが一番好きだよって、勧めたりしたけど。その時の無神経さを風呂で思い出して、嫌な気分ではない。残酷な部分とか冷淡な部分とか、そういったものが、ないことがよさだと、誰が決めたというんだろうか、と思う。表面的なぺらぺらの倫理観に自ら絡め取られたら終わりだ。


此処彼処(グループ?名)で、ラインをやりとりして、花見をしたいというはなしと、できないねという話と、離れていてもできることをやろうと言う話。


「考える練習だけしてよう そしたら何かが変わるかも知れない」


と阿部さんが書いた、2011年の共作のドローイングを「こういうことやろう」と赤木さんが見せてくれる。なんか泣けるきもちになる。友達に会いたい、いろんなところに行っていろんなものを見たいけれど、それができなくても私たちは、いつだって、考えることはいつだってできる。


ゆきえちゃんとたくさんメッセージして、青木さんのイベントをライブで見た。


バイオリンを練習しつつ録音。うまくいかなくて指がめちゃめちゃ痛くなって、うまくいかなさですごくふきげんになって子供の時の練習の気持ちになって大騒ぎするけど、やめない自分に、頑固だなと思った。4時間半くらいやってて、その間のご飯と洗い物と風呂掃除、全部諒がやってた。サラダは作ったけどそれは自分が食べたいからで、頑固っていうかわがまま。


「もしかしてロックダウンになっても君は仕事が休みにならないの?」と聞いたら「だれかコロナになっちゃわないと休みにならないかも」って最悪のことを言ってた、心配で嫌だ。明日自分は観念して免許更新に行こうとしていたけれど調べたら3ヶ月延長できると読んだ後、外出しようとしていた自分が怖くなった。どんどん変わる状況に、どんどん変わる価値観があって、今のどんどん増える感染者(今日都内140人くらい?)の元々感染した瞬間は2週間前なんだとかで、私が2週間前に催したイベントでもしかしたら感染した人もいたかもしれないとおもうとたまらない気持ちになって、体がしぼむ。もう向こう10日間どこにもいかない。


齋藤春佳


 

追記
4/6さっき運転免許更新について電話で問い合わせたら延期の手続きに直接警察署へ来なきゃいけないと言われて絶句てかハ?、だがこの女に文句を言っても意味ないはず、、と思って光の速さで東京都と警視庁にご意見を送った、即刻郵送かwebかに切り替えるべき、できないならできるまでの措置として無条件で延期すべきでしかない。ご意見を送るハードルが下がってる、それと、意外と意味全然なくないんじゃないかな、と思い始めてる、大阪府は郵送での対応に切り替えているらしいって今日武蔵野警察署でコロナウイルス感染者判明したてのほやほやだしあたりまえでしょ、マジでこんなことで怒って寿命を縮めるのが損した気分だ。

2020/04/04 くじだから
2020年4月4日齋藤春佳

床を除菌して拭き掃除して、「もうリュックと上着とお財布は廊下から中に入れない」と宣言する。


金曜日に筋トレとヨガをちょっとした筋肉痛がもう出て体が痛い。


ベランダを見やったら真ん中に干していたはずの布団がなくって、
「え、ふとんがふっとんでない?」と言ったら慌てて池田が見にいって「あぶね〜」って内側に落ちていた、よかった。すごい風がふいてきて、はやいところ洗濯物を取り込む。


一緒に餃子を作ったら、いつものレシピなのに全然違う味になった。池田は「はるかがするとキャベツがでかいから」と千切りをさせてくれなかったけど、正直私一人で作った方が工程がひとつひとつ疎かにされないことによって(肉と調味料を先に混ぜる、キャベツを塩でしんなりさせたやつをしぼりつつそこに入れる、焼く最後の工程で油を足す)味が決まる、みたいなとこがあるかもとおもった、キャベツの千切りは確かに細い方がいいのだけれど、怪力によってキャベツ、最大限に弱らせられている。でも二人で作ったら早くてよかった。それをよろこびながら、志村けん追悼番組を見てビール飲んだのが5時。
そんでなんか寝ちゃった。
「なんかくらいよう」
って起きたら「くじだから」と言われて
本当に嘘だと思ったけど本当でショック。
Ongoingのトークライブで聴き逃す。後から聞く。zoomの遠隔トークなのだけれど、なんかみんな、顔だけ見えてるのすごく可愛くて、勝手に嬉しかった。


夜が更けてから、思いついた!と思ってOngoingCollectiveにメールしちゃったけど迷惑だし、何かを一緒にやりまくろうとするやつ、信用できないな、と自分で後から思って後悔しています、いま。


齋藤春佳

2020/04/03 風の形のまま
2020年4月3日齋藤春佳

コロナウイルス対策には顔を手で触らないことが絶対に重要である、という動画を見て、さわらないさわらない、と思いながら、Ongoingついて、ハンドソープ新しくセットして、またあちこち除菌して、お昼の下ごしらえして、パソコンできりのいいところまでやったらおトイレ行くぞ、だって今手がめっちゃきれいだから、とおもってきりのいいところまでやって、お手洗い行って鏡見たら、ちゃんと顔を手で触らなすぎていることによって前髪が自転車漕いでバーっと真ん中分けになった風の形のままになってて、私偉いじゃんと思った。12時について1時半までそんな髪の毛でいた。
昨日ついに手が皺皺になったので、手を洗うたびにハンドクリームを塗ることにする。


マスクが届くのが楽しみになる痛快な計画を聞く。


映像含めて青木さんの展示の記録を撮りまくる、映像を撮っていたら、作品と作品の間に起こっていることが深く深く感じられてすごく嬉しかった。クジラの目の絵があそこにあることで、部屋全部がクジラの気持ちになる。やることが次々湧いて来て終わらない。20時に本当は帰りたかったけれど、自分がやってしまいたいことが終わったのは(でもぜんぶはおわってない)21時だった。もう次来るのは(来るとしたら)再来週の水曜日。
やってしまいたかった作業を、リモートワークが認められるのであれば、やります、と思うけれど「俺やっとくよ」と言われて、そうですか、と、思って、言わない。お金にもうとてもすごく困ったら、私の能力でもオンゴーに対して在宅でできることないか、働かせてもらえないか申し出よう。あとはやんない。自分のことをちゃんとやる時期だと思って。


日記かこう〜といいつつ、かかず、寝た。


齋藤春佳

2020/04/02 遠く無言でニコニコ手袋をした手
2020年4月2日齋藤春佳

この日記まずnoteに書いたんだけど、noteのこの記事書くところにいつもはなんて書いてあるんか知らないけど今日開いたらうっすら灰色で”こんばんは お体に気をつけてくださいね”と書いてあって瞬間ぞっとしたままクリックしたら消えて”noteのこの‥”と書き出したところ。コロナが流行ってるからこういう仕様なんだろうけどなんか悪趣味だなとおもう、悪趣味とは言い過ぎかもだけど‥。ヨーグルトの蓋の裏に書いてあるちょっとひとことみたいなかんじということだ、私はあれがかなりきらいなんだ。なんでだろう。

 

なんか叩き起こされて、なんで?と不満に思う。

 

晴れていたので洗濯をした。
ベランダから見えるサワラの木の先っぽの方だけ芽吹いて薄い黄緑色がもさもさしていて、木の幹に近い方の枝は裸なのが揺れている様子、その遠目の木と近目の木の枝振りの違い、などを眺めて楽しんだ。あの木の名前を知っているのは、あの木の近くに行った時に三木にかけてあった看板を読んだからだけど、他の目に入る木ほとんどの名前がわからないな、わかったらいいのに、と思った。

 

久しぶりに乗った自転車がなんかちょっとなんか変な感じ。先週水曜日、おかしいくらい人がいるなと思った交差点で、人がいない。昨日蕾だったチューリップが開いていて、周りの蕾が太陽の方向に傾いているのを見て喜んで写真撮る。

 

Ongoingについて、終わりそうなスプレーを無駄に使えない、と思って、ハイターを所定の薄さに薄めたもので拭き掃除する。換気してたらドヤドヤと入って来ちゃった人たちがカフェ利用希望で、断る。カフェ使いたい人はカフェやってないと言う情報にたどり着けるはずがないと言う仕組みがある。

 

冷蔵庫の中身をつかっちまわないといけない、こんなのあるんだってくらい細い魚肉ソーセージと卵5個とししとうと玉ねぎ、オムライスにして2時頃小川さんと食べた。なんか久しぶりの出来事。
食後なんかしらず心臓をさすってしまっていたら「寒かったらストーブつけてもいいよ」と言われて「あ、違うんです、おなかいっぱいだなと思っていただけ」誤魔化す必要がないことなんだけど、別に今具合が変なわけじゃないから、遠い返答をした。

 

暇かと思ったら新体制に向けてやることが無限に湧いてくる。全然暇にならない。むしろめちゃめちゃ忙しい。小川さんが、「暇だと思うから、英語勉強したらいいね」って慈悲深いことを言ってくれたけど、今のところできん。

 

木曜日なら人が少ないかもと狙ってか、晴れたからか、すごくたくさん人が来た。昨日と全然ムードが違う。人口密度とわいわい加減にゆきえちゃんが怯えた顔をしてどこにも触れずに帰っていった。地主さんと高石さんも、ワー!おかえりなさい!とかさわぎたいけど、遠く無言でニコニコ手袋をした手を振っていて「むごん‥」といいながらニコニコ手を振った。

 

やることが終わらなくて遊べない、と思いながら夜になってから、かなちゃんに自分の唯一持ってる短歌の本、永井佑「日本の中でたのしく暮らす」と自分が11月に書いてた短歌を見せる。かなちゃんのやつはもっと言葉がひとつぶひとつぶ心に沿ってるっぽくってそれがすごいよかった、ワシのはなんか、サーっていうか、同じ文字数なのに、と、言いたかったことを、言ったら「はるかさんのは、シーン(光景)と言う感じ」とかなちゃんが言って、それならそれはそれでいいかと思えたのがうれしかった。ありがとう。
大森静佳「手のひらを燃やす」を見せてもらう。一個一個の歌がぎゅっとしてて、読むのに時間がかかってすごいって言うか、このひとものの感じ方大変そうだなとかおもってそう言ったり、エー!とおもったやつを読み上げたり、気軽な時間があった。先週、短歌の会をやろう!と言っていたけれど、今週になって、やっぱ先週思っていたり言っていたりしたようなかたちでは、何かをやることができないという感じがちょっとさみしかったけど、オンラインでも、できるし、とも思った。

 

夜はるちゃんからラインが来てうれしい。子供暇なんだろうな今、とも思う。安倍がマスク二枚付けてるコラ画像が送られて来て、この子にしてこの親あり、権威に対する反発心よと思った。

 

齋藤春佳

 

2020/04/01 基準と作法
2020年4月1日齋藤春佳

 

芝生のある森的広場のよこをのぼる坂道で、今日の空気のことをNくんが台湾のもりの匂いと書いていたけど、と思って、まだどこも触ってない手だからいいでしょ、と思って一瞬マスクを外したら、湿った土と草むらと木の匂いが強くして、マスクって匂い遮断するんだなー!と思った。お料理してる時ヘッドフォンしてると意外と調子出ないっていうのは料理中意外と耳も使っているってことみたいに、歩いてる時にマスクしてるのもほんとは調子出ないことかもしれない、と思った。できないんじゃないけど調子出ない。
でも、久しぶりに外を歩いて、匂いはしないけど、家を壊すショベルカー、湿った地面に水をさらに巻く作業着の人、赤紫の木蓮の花の形、木の先っぽに葉っぱが生えてて内側がスカスカの様子、ベトナムの奥まったカフェみたいな雰囲気のマンションのエントランスの中の白い椅子、アパートの庭にある傾いた五重塔、トタン屋根の裏側の見える角度、チューリップの葉の水滴、以前見て絵に描いた事のある大きな落ち葉と同じ種類の落ち葉の違う様子、だとかを見て、見ながら、歩く事の喜びを感じた。ただ歩くだけだったら別に感染しない予感がする。空気みたいに、空気として、どこにも触れずに歩くだけだったら、別に外出してもいいのか!いいこときづいたぞと思った。

 

できごと、何があったかとかは結構後になってもいくらでも思い出せるけれど、気持ちはその時しかその形で書けないよな、日記、と、いつか1月の帰りのバスの中でバスについている3連のサイドミラーの映像を撮りながら何かを考えていたことは思い出せるんだけど何を考えていたのかは思い出せない、ってことについて思った。

 

オンゴーに到着して、どこをどう触って除菌してどのタイミングで手を洗ったらいいのか分からなくなって、準備中あちこち片付けながら何度も手を洗って、さすがに手がちょっとパサパサになった。

 

ここ3週間くらいランチに続けて来てくれていたカフェのお客さんがきてしまって、ごめんなさい今日からカフェないんです、と謝る。ざんねん。こんなに人いないんだから別にご飯出すくらいしてもいいような気もするけれど、でもこれでしばらくやっていくって決めたのだからこの決めた中でどうするかを、これから作っていくんだ。
Oさんと2メートル離れてすわって作業しながら、久しぶりにお話しした。俺志村世代だから という話を聞いて、私の悲しさは負けてるというか、悲しむ資格はないのかもしれない、でもメッチャ涙出る、人が死ぬということの悲しさをただ感じてんのかな?自分の気持ちを、うまく表明できない気持ちになった。なんか世がどんどん心配になってくる。本当にここ潰れちゃうかも。
できるだけのことを、工夫しないと。

 

作業中鼻の横痒くなって掻いちゃう。それではマスク意味なくね。基準と作法がむずかしい。
色々色々やることをやり続けて、ずるーっと夕方18時くらいになって、落ち着いた気がした。

 

20時、Sさん車ならばはるか送ってもらえば?と提案してくれて、送り出してくれるOさんがずいぶん優しい目をしていた。顔全体はわからない、マスクしてるから。

 

夕飯食べた後に煮豚を仕込んだのだけれど、愉快なカフェ業務ができなかった反動かなとお風呂で気づいた。ご飯を作るのは自分にとって、大概、楽しいものごとに属している。
楽しいことと楽しくないことってなんだ?

 

高木ブーが「決めた 志村は死なない」と言ったのを見て泣いた。

 

齋藤春佳

2020/03/31 すごいでしょ アイスクリーム食べながら シュークリームの特集見てるの
2020年3月31日齋藤春佳

朝、Rを見送って茶を飲みながら「マジで一揆ってどうやったら起こせるわけ?」とキレた気持ちになる。

 

集まれない今この世界で、革命を起こすにはどうしたらいいんだろう。かなちゃんがフランスの学校の理事長?校長?への抗議のためにめちゃめちゃ暴動が起きて生卵や小麦粉をぶつけまくってそれでようやくトップが変わったと言う話をTwitterに書いてたのが頭にずっとある。「話してもわからない奴は話してもわからないんだよ」小麦粉と卵。
小麦粉と卵を投げつけるイメージ。
安倍はこんなイメージを日本中からされてよくからだ平気だな?!と思う。でもたぶんいっかいお腹痛くなって総理辞任してからまた総理になるまでの間に安倍はもう自分のこと操り人形としか思ってない状態に調整済みな感じがする、そうでなきゃ、あんな恥ずかしいことできないと思う。人間として。だから安倍が元凶じゃないんだとおもう
でもだからと言って、このままにはしておけないという怒りが伝わって机上のガーベラを枯らしそうな気がした。ムカつきが最高潮に達して首相官邸と東京都のメールフォームにメール。こんなことしても意味ないけど、でもどうしたらいいのかな。
不要不急の外出自粛を要請しても、仕事に行かなければ生活ができなくなる人にとっての外出は不要不急ではありません。
仕事をして収入を得ることが生活を維持するために外出するのは、必要な外出です。
本当に感染拡大を止めるためには、外出しなくては仕事ができず生活ができない雇用体制の人に生活費を給付することが同時に必要だと思います。
また、混雑する店の利用自粛を提言していらっしゃいましたが、補償も無くそういった店舗が営業自粛することはできないはずです。利用者にとっては不要不急だとしても、営業者および従業員にとっては不要不急の営業ではなくて、生活に密接に関わる必要な営業だからです。ただそういった店についても、補償をすることによって営業を止めることはできるはずです。

 

金銭を補償することによって不要不急となる(生活が逼迫することがなくなる)仕事については、いち早く補償し、外出を制限し、
どうしても必要な外出(どうしても出勤が必要な仕事、生活必需品の購入、運動など)について制御することによってはじめて感染拡大を抑えることができるのではないかと考えます。

 

当たり前ですが、感染拡大防止と生活維持は同時にしか為されません。
感染拡大防止の観点においてはなにが必要でなにが不要なのか、ということを明確にすることなしに、自粛という言葉を使ってそれぞれの個人や企業に責任を押し付ける首相の姿勢に落胆しております。

 

アホみたいなことしか書けないなと思って自分に落胆してくるのをテメエに落胆してんだよって最後まとめたけど、なんでこんな当たり前のこと書かなきゃわかんないわけ?とさらにキレる。
りゅうちぇるが、ぺこちゃんが付き合って1ヶ月記念の日に書いてくれた手紙をとっておいたのを自ら音読したら泣けちゃって笑える動画を見て泣いた。
11時頃に早めのお昼を食べた。鯖とブロッコリーのペペロンチーノ。
昨日、もう、SNSあんま見ないでおこう、と思ったのにめちゃめちゃ見てしまう。タイムラインに見ていない情報がない状態をキープし続けている気がする。

 

買い物をした方がいいと言われて四日ぶりに外に出る。
サミットのカフェで集っているのはむしろお年寄りで、若者がとかそう言う問題じゃやっぱないと思う。
色々怯えながら帰宅。買ったものをそのまま冷蔵庫に入れられない気持ちになった。除菌スプレーでふく。スプレー終わりそう。

 

夕方Yちゃんからメールが来て、明日からの営業について知らされるけど、なんでOさんは私に何も伝えてくれないんだろう?そんなこと、あるかな?一応通常営業だから何も言う必要ないって判断したってことか。私は私で先週末まで平気で自分の展示のイベントうってたのに、急にめっちゃ怖くなったからといって怖がり出すことはできないというきもちがなんかあって、明日からどうなるか自分から聞けなくて聞かなかったのが、
だから自分が気にしてたけど聞かなかったってことが事の理由だよと自分に言い聞かせて、文句垂れな気持ちから普通の気持ちになる。私が気にしてる事は私が聞かなきゃ知ることはできるはずない。

 

そのあと連絡事項があってRちゃんに電話したら、謎のエスパー能力で連絡事項を察知していて笑えて心安らいだ。志村けんの話が出て「志村けん」と発語する時涙声になる。べつにすきじゃないんだけどなんでこんなにかなしいんだろうか。なんとかして会おうねと話し、電話を切る。

 

Yちゃんが教えてくれたレシピでゆかりハニーマスタードチキンを作る。おいしくできたけどピタパンに合いそうなお味で、ご飯は結局ほとんどキムチ納豆で食べた。
ふと内閣支持率ってどうやって調べてるわけ?電話で聞くっぽい気がするけど私聞かれた事ないし、もしかして固定電話にだけ電話かけてます?!と思って調べたらケータイにも別にかけてるらしかった。2222人に調査して回答が1200人くらい。たった1200人でなにがわかるんだ?!とか思いそうになるけどそれで十分とされるなんか根拠が一応あるんでしょうね、と、思うというか願う。こんなの嘘じゃないかなとかいくらでも言えそうだけどそれを言うのは何も知らなくても言えるくらいの、なんていうんだろうか、自分の論理を補強するために状況を利用するような感じのことになりそうだから、それについて、何かを言いかけて、やめた。

 

ふと自分のメモを見返そうと思ったら、ケータイメモの中に
短歌 ってフォルダがあって え!あんじゃんと思って開くと

 

2019/11/3

 

濃い緑 ふさふさの葉っぱ サワラって名札のついた木 魚の名前だ

 

すごいでしょ アイスクリーム食べながら シュークリームの特集見てるの

 

なにこのひと、と思って楽しかった。完全に忘れてた作ったことすら忘れてたから、その時のことがほとんど残ってないのにこうやって残ってる、先週短歌を見せてくれたKちゃんに、見せようと思った、Kちゃんの短歌のほうが、心にひとつぶひとつぶ言葉が添って涙出そうなくらい素敵で私は照れちゃったんだけど照れないですごいいいねってちゃんと言えたらよかったな、私はこんなにくだらないやつあったよって見せよう。

 

齋藤春佳

2020/03/30 ただのへんな他人のおんな
2020年3月30日齋藤春佳

志村けんが死んで「やっぱり」と「死んじゃったの」が混ざった。
お昼頃「志村けん死んじゃったね」ってラインが2つ来て、知ってるよ言わないでって思ったんだけどそれ自体が気持ちと言うよりは、悲しさが気持ちとしては存在していたその上に知ってるよ言わないでがあったように思う。


古い保険証を探しているのだが何処かにやってしまった。
なんかいまいち何もできない気がして、洗濯槽掃除と風呂掃除をする。洗濯槽からすごい汚れが出てきて、夢中になる。夢中と言ってもやることは洗濯機がやってくれるのを、見ることを夢中、あとはたまに汚れをすくうだけ。


夕食を食べた後、志村けんについて話していて、研ナオコの気持ちになったら涙が溢れた、友達が死んでしまった、仕事仲間でもあった、しかもコロナウイルスで、しかも急に、しかも会えないままで。
そのあとTwitterに流れてきた昔のVTRで相葉くんが志村けんのことを「パパ」と発語した時に志村けんが自分を「?!」って指差しながら目がみるみる真っ黒になって頬が薔薇色になってびっくりしながら嬉しそうなお顔になった瞬間を見てもう誰の気持ちになっているのかわからないけれど泣いた。気持ちが動いているのを見てただ他人の私が泣いているだけといえばだけだった。感情の事情をRに説明すると「はるちゃんはすぐ人の気持ちになれてやさしいね」というので「ただのへんな他人のおんな」と言って首を振った。本当のことだ。


東京都の緊急記者会見を待つ。8時からって言ったのに、全然8時から始まらなかった。ギターを練習しながら待つ。「いろんなところに行ったり、いろんなものを見たいって曲作りたい」と言ったら作り方をなんとなく教えてくれるんだけどいまいちぴんときてない。「そのきもちがだいじ」とか言われる。


夜の街が発生源だと情報を操作するような会見。夜の街も発生源の一つ、だろうが。怒りが湧いてくる。加えて、国に言われなければ、つまり都の責任が生じるような形ではテコでも動かないという姿勢がわかった。不要不急の外出の自粛のお願いと言う形で都民個人に責任を負わせて、生活をするために仕事に行く人にとっては必要な外出や店自体の営業を、補償なしに止めることができるわけないのに、止めてるフリだけして、感染拡大した際に”都は自粛要請をしていた”というエビデンスを残しているだけだ。
ばかにしてんのか。してるんだろうな。テメエがばかだ。
記者の人が、こんなふうに一定の人数が夜に集まらざるをえなくなる緊急記者会見という形式をなぜとるのかという質問の合間に「なんだかな」と言ってしまっていて、気持ちがわかると思った。
なんだかな、なんでわかんないのかなっていうかなんでそんなこともわかんないの?


寝る前、Rが「こりゃだめだな」と言って「明日仕事を休んでほしい」と言う。「具合悪いって言って一週間休みな」
「だってこれで利用者さんのご家族が仕事に行き続かなきゃいけなくて、帰ってきて、利用者さんにうつって、迎えに行って、利用者さん全員にうつって、Rにうつって、私にもうつることが防ぎようがない、そうなる未来しか見えない」と言ったら怖くなって泣いた。私はコロナにかかったら心臓止まって死ぬと思う。
泣いたついでに「台湾行きたい」とも言った。今年の11月には台湾に二人で行く気満々だった。ポパイの台湾特集を何度も見返している。
「台湾行こう」
「でも行けない」
「まあ泣かないで、明日はハンモックをベランダに出して読書したら?」と物理的、大枠的?、形式的に私の精神の安寧に至る道を提案してくれるRの姿勢が何にもわかってない感じがするけど実は効果的な感じもしておもしろありがたいなと思いながら、それやりたいな、と思う、それやりたいなと思えることのありがたさ、でも明日は曇りなんだよな、さむいかもとも思った。
「見なよ」と割れたケータイでみせられたドリフのコントは、客席の子供がワアワア言う声がめちゃめちゃ可愛い。


齋藤春佳

2020/03/12 推しを見る
2020年3月14日齋藤春佳

昨日というのは、昨日の昨日、自分のコレクティブの日記の日なきがするから(もう多分私だけが持っている謎の時空「自分のコレクティブの日記の日」 またちゃんと仕切りなおそうという気持ちに今なってます、コレクティブのみなさま…)日記書きつつ展示のテキストアップしよう!と思ったけど書き直したくなって、直してたら意味わかんなくなってケータイを握りしめたまま昨日は(昨日の昨日)眠った。
昨日(昨日の昨日)の朝、‪夜歩いてて、人の家の庭にうごめく白いものがうさぎで、写メ撮ろうとしたら撮れたけどケータイ落として、割れた‬
‪て夢を‬、朝ケータイ割れてないのを見て思い出したけど、うさぎの写メはない‬。日曜に渋谷でちびねずみを撮り逃したのが原点だと思う。

そのあと朝ごはん食べながらン?と思うけど
そうですか
と思っていた昨日(書いてるいまの昨日の昨日の昨日)のできごとに対して、ひとに説明する時に、
「火を見るよりあきらか」という言葉を使って、なんだ私怒ってるんじゃん、と思った。
「さもありなん」も言った。笑える。ここまで書いてまたケータイを握りしめて昨日の夜眠った。

 

木曜日、通勤時、文章を書いた頭で、ファンがテレビで推しを見るのは見るだけでさわれないけどむしろさわらないくらいのその時の気持ち…を世界の見た目みたいなものに…でも固有の存在に心臓が飛び上がるみたいなことってあるよな、そんなん、今持ってなくってつまんないけど、やっぱ世界とか言っちゃうと、薄まる部分も…とか思いながら路地の交差点に差し掛かるとき、しっかりとした大きさと筋肉の美しいダルメシアンが二頭、それぞれ違うぶち模様で自転車の飼い主に引き連れられて横切るのを見て「なんてかわいい…」と口から漏れてその瞬間右前方からこっちに向かってくる小さめのポメラニアンの毛量爆発してるのが目に入ってその犬に言った風になりそうだけど言ったっていい!一瞬の眼福に心がぶち上がるのを感じながら自転車で過ぎて、
犬は推してる…ほんと…
猫より推してる…と思いながら青梅街道の交差点を通過した。

 

齋藤

オンゴーイングでやってる展示のテキスト↓3月22日までの展示です

 


 

水平線を見ることができる時、水平線にさわることはできない。

絵画にさわることはできない。
今、Ongoingの建物には、さわれる。

一階に展示されている絵画のうちいくつかはOngoingの机や柱や壁をスクリーンに焼き付けたように描かれていて、それをそういう風に見るためには、絵画に対して完全な正面に立たなければならない。
見る人の体を絵画が規定する。
逆に、見る人がOngoingで2020年の3月4日から3月22日までその絵画の正面に立って見る瞬間にだけ、その絵画はそういう風に現れる。
見る人の体によって存在させしめられる絵画。

壁を模したキャンバスに描かれた水面。
泳ぎながら喋ると、聞いている方は何を喋っているのか分からない。
そこに絵の具で描かれたそれぞれの線を、「〇〇さんだ」「この時のこれだ」「あそこにあるあれだ」と規定するのは見る人で、見る人がいない瞬間はそれらはただの断片的な線でしかない。見る人が眼球の中でその像を結ぶ瞬間のみ現れる。
Ongoingにお馴染みの人が「〇〇さんだ」と思う描写を見て、ただ「人だ」と思う人もいる。いつか何もかもを忘れた後、私がこの絵を見る時もそうかもしれない。描写によっては、人が描かれていることにも気づかないかもしれなくて、同じように同じ絵を見ることができる瞬間は誰にとっても、二度とない。
絵の具が人に見える時、
絵の具が花に見える時、
あなたが今ここに、絵画と平行に、床とは垂直に、立っているという現在性を絵画が顕示する。
絵画とあなたが顕示しあう。
開かれた本のページ。
開かれていない本のページ。

立ったまま眠るのはOngoingオーナー小川さんの酔っ払った時の特技で、誰の声も届かないその人は空間に垂直に現れている。
重力が働いているこの世界で眠る時、人は横になるものだと思っていた。

そもそも時間が経つということについて、物や人や地球に重力が働き続けている運動エネルギーの総体の仕組みが現れている様子を世界で便宜的に時間が経つと呼ぶことに決めているだけで、つまり、手に持った器の地面に落ちる運動自体が時間と呼んでいるものの正体であると私は考えている。枝が落ちるとか、花がたおれるとか、人が死ぬとか、眠るとか、ものが置いてあるとか、地球が自転するとか、そういうことは、時間が経つから起こっているのではなくて、その運動が起こっていることの現れを時間が経つと呼ぶ認識に当てはめているだけだと、本当に、詭弁じゃなくて、思う。だから、落下した花を花器に活け直すように別の地面をつくる(*1)だとか、2次元としてしか捉えられない山の稜線の山中の出来事を3次元に起こしながら聞いた話を語る映像が壁に投影されていて、そこにさらに鑑賞者が立っている4次元空間にもある物体の影を落とすことで、3次元と認識されている場所に対して2次元として落とされる影という現象が起こって、鑑賞者のいる空間を壁に映写された映像に対する余剰次元として存在させる瞬間を作る(*2)だとか、つまり空間を視覚情報として操作することで人が既に認知できることを超えた部分での認知の変化を起こすことになり、というのも視覚情報も光が反射して眼球に到達した際の電気信号であるわけだからそれがその個体が持つ運動速度に何も及ぼさないはずがない、そして、それが、時間がただ流れて死んだらおしまい、という仕組みを本当に変えることになるということを本気で信じていて、それに支えられて、今まで作品を制作してきた。

けれど、制作していて気分が盛り上がってくると、なんか心臓がバクバクしてきて、それが無視できない。[ 荒川修作 死因 ]でググってしまう。重力の中で心臓がバクバクしているんだけど、その時私は空間の中で相変わらず垂直になっている。それは観測者から現象として観測可能な運動性で、その観測者自体も、どんな次元に立っている観測者からも観測しきれない運動性を体の中に保っていて、そこで私が観測するのは現れている部分のみ、水面に顔を出した時の言葉だけで、表面しか無い。

でも、
でもじゃないんだけど
でも、立ったまま眠る人がいる。
その人はこの時空間の中で異質な存在として現れる。
小川さんは普段は頭脳明晰だけれど立って眠るくらい酔っ払っている時に会話すると、頭脳明晰明瞭快活な様子で話した楽しい話も真面目な話も全部忘れる。全部が過ぎて消える世界の中でそれでも残るものが記憶で、それがたよりだと思っていた私はその容赦ない忘却が最初恐怖だったけれど、最近は、記憶できることだけがこの会話している時間を支えるのではないのだという実感がわく。きっと今話している内容を明日は私だけが覚えているんだろうなと思いながら会話する時、それがいやだとかさみしいというわけでもなくて、うまく言えないけれど、話しかけて、応えがあって、その応答のある対話がこちら側だけに残っていく感じが、水平線から投げかけられる夕日を見る時の感じというか、この現れていること自体全てを、たとえその輪郭的内容を覚えているからと言って残すことはできないだろうと思う。

水平線に刻一刻と夕日が沈むのを見ている時、「絵に描ける?」と聞かれて「絶対描けない」と即答えた。

水平線は見つめ返さない。
もしくは見つめ返す。私の与り知らない形で。
それぞれの体に立つ地面があって、その時、
それぞれの体の正面に水平線がある。

小川さんは酔って私へ話した内容を覚えていない。内容は覚えていて私に話したことを忘れている時もあって、もう一度同じ話をされる瞬間、自分が透明になるのを感じる。対面する相手の目の先、自分の背後に水平線が現れる。しらふの私が小川さんに頼まれた仕事をすっかり忘れている時もある。
Ongoingで 1人で食べた柑橘。 パンを捏ねた手。 私以外誰もいない時のOngoingの姿。人がごった返す10周年パーティの姿。
私が見たOngoingにも色々な姿があって、私がバイトを始めたのが4年前だということを抜きにしても私が見ていないOngoingの姿は私が見た姿よりも多くあって、ここにある絵にそのすべてはほとんど描かれていない。描かれてあることよりも描かれていないことの方が多い。
それでかろうじて描かれている食べたものも触れたものも話した人も今は目の前になくて、もう二度と会えない人すらいて、でもそれを思い出すことはできて、描かれていると見ることだけはできる。 見ることで結ぶ関係がある。
そもそもOngoingで人と話している時、さわろうと思えばさわれるけれど、そんなに人にさわらない。さわったとして、それが関係を結ぶことになるわけでもない。まつげが指で押しのけられる形が見たくてまぶたを触っても(*3)、眼球にさわれないし、眼球をさわりたいんじゃないんだけど、そんな時その人は私のことが見えていない。それを見ること以外で結ぶ関係ということもできるかもしれないけれど、その時触った私はそれの様子が見たいだけだった。こちらから投げかける目。水平線としての他者。それぞれの持つ水平線。
過去から今が見えなくても今から過去が見える(見えないけど思い出す形で頭に浮かぶ)ように未来から今は見えているだろう。でもどんな光も目に届いて認識して見えるということが起こった時にはもう過去の光で、水平線として見える光は距離のある分過去の光で、だから、お互いの水平線が重なる時もひょっとしたらあるかもしれないけれど、それが判明する瞬間を持ち寄って同時だと証明するには、私のようにあなたは見ないし、あなたのように私は見ることができなくて、それでいて自分の水平線にさわることができる人はこの地面の上では、いない、ということを持ち寄らなくてはならない。私にとって線にしか見えない地平線はそこにいる誰かにとっては地面で、その時私の今立つ地面はその誰かにとって線にしか見えない、地平線である。
でも、水平線が見える時、波打ち際で水をさわって、ここにある水と同じ水がずっと向こうまであるんだな、と思った。
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*1「たおれた花器の水面下ではもう一度同じ花が水を吸い上げている」2013 /実家JIKKA/同名展覧会にて発表
*2「影の形が山」2017 /埼玉県立近代美術館/”飲めないジュースが現実ではないのだとしたら、私たちはこの形でこの世界にいないだろう”にて発表
*3 小川さんのまぶたじゃありません

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齋藤春佳『立ったまま眠る/泳ぎながら喋る』
2020.03.04 (水)- 2020.03.22(日)
12:00-21:00 定休:月、火
入場料:¥400(セレクト・ティー付き)
http://www.ongoing.jp/ja/artcenter/gallery/index.php?itemid=772

Haruka Saito “Sleeping While Standing/ Speaking While Swimming”
2020.03.04 (wed) – 2020.03.22 (sun)
12:00-21:00 Closed on Mondays and Tuesdays
Admisson: 400yen (with tea)

2020/01/09の日記を見つけた1月23日
2020年1月23日齋藤春佳

1/9
朝4時から6時半くらいまで、制作というか制作準備?をしていて、その後眠らなければよかったんだけど眠った。断続的な夢、小さい頃住んでいた家、映画だが客席に演者が座っていて突然演じ出して最終的にアトラクションのようになる、だとか、のあとに、深く遠い夢を見て、起きた瞬間に全てを忘れた。忘れがたい夢だった、という感じだけが残った。

今年初オンゴーイング。小川さんは髪が伸びていて、なんだかずいぶん幼いというか、同い年くらいに見えるような気がした。食べログに「少年が一人で接客してくれる不思議な店」と昔書かれていたというゆきえちゃんがしてくれた笑える話を思い出す。
風呂場で、小川さんが同い年くらいに見えたのは、今1月で、Ongoingが12年前に作られたのも1月で、その時の気持ちでこの十日くらい小川さんは過ごしていたんじゃないか、だからその年齢の見た目になっていたんじゃないか、と勝手に推察した。

ヒスロムの人たちの静かな関西弁に謎の警戒心を自分が感じるのが不思議だった。魅力的ということだろうか。

山本さんの作品は「本気だ」と感じた。
あんまり感想が言葉にならない。
「山本さんがいない時も頼まれたら、ブルーハワイ作っていいんですか?」「めんどくさかったらいいよ!」とすごい速さで言われて「めんどくさいができごとの理由になることはないです」と笑ってしまった。
なんでこれをやらないんだろう?と疑問に思うことがあるけれど自分も忘れてしまうところがあるからな、と思う、けど、やろうともしない痕跡みたいなものをまざまざとかんじるとき、低いところに引っ張られないようにする、というきもちがある。本当は高いところに引っ張られたい。みたいなことを、ひとりでいて、ひとりの心の中で考えていたから、そんな返事が言葉として錬成されて口から出てきた感じがした。

山本さん「作家がいると気を使っちゃう、いない方がいいと思うから」「確かに作家さんがいると気を使っちゃうからいない時に行きたい気持ちはあるかもです、友達とかでなければ…」「そう思う?」「いや必ずしもそうってわけではないけれど」「そうかー作家がいる時避けるんだ」「いや絶対ではないんですけど」「そうだよね!」と2Fにお客さんいるけど7時くらいに帰っちゃった。

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それと、1月9日はお昼を食べながら「寒くなさすぎて夏が怖い」と話していた。なんかペペロンチーノ作ったんだけど全然調子が出てない味でおもしろかった。

1月23日の今日は十分に寒い。寒いのはとても苦手だけれど、これくらい寒くないと、つまんない。
昨日まともに太ももに冷気を浴びたからか、家に帰って足がカユカユになった。
Collective日記はもう年も明けたことだし、順番とかじゃなくて、書きたい人が書きたい気持ちの時に書くスタイルにするのがいいんじゃないかな、と思う。思うと書いたけど、思うまで行かず他の出来事に心とらわれて最近は過ごしていて、でもパソコンに1/9の日記があって、もしかして私の日は9日だったんじゃないかしら、と思って表を見たらやっぱりそうだったから、ちょうどだった。

ここまで書いて、お客さんが来て洗い物してる時に小川さんが来て
「髪切った?」と言う小川さんも髪を切っていた。

今日は我ながらものすごい働き、というか超事務作業、出納帳管理をほとんど終わり間近まで進めた。2月の自分のためと、これを書いていいくっきりとした休み時間が欲しかったから、ただただやった。
「すごいんだよ、やると終わる。やらないと終わらない。」
とまっすぐ目を見て言ってきた友達のことを思い出す。
作品のために石を運んでの弁だった。殆ど笑わせにきてたけど、殆ど本気でもあったはずで、そういう風に笑わせと本気を混ぜて話せる友人がいてよかったと思うと同時に、落ち込んでるんだか何がなんだか知らない頭悪ロジックでメール無視されてて、そのことを思ったらむかつく。ムカついてバンバン作業が進んだ。

とったWiFiの業者の電話に、「オーナーがいる時間がまちまちで決定はしていないので、またかけ直していただいてもいるかどうかわかりません、ご用件次第ではもしかしたら必要ないことかもしれないので…」というと「いえ、そちらが不利益を被るような内容ではなくて」「どのようなご内容でしょうか?」「オーナー様に直接お伝えしたいご内容ですので…」「かしこまりました、何度もかけていただいてしまっては申し訳ないと考えましてご内容をお伺いできればと思ったのですが、それではまたご都合のよろしい時にご連絡いただければ結構です」とすらすら言った時に、その作業中の心にあったムカつきの火の粉が現在地にちらついてしまうのを感じて、わるいな、と思った。調子は怒りを湛えていなかったけれど、すらすら言いっぷりが怒りを孕んでいてこそのすらすらだった。電話を切って、自分に自分でちょっと落ち込んだ。切り替えよう、コーヒーのも、とドリップパックのやつにお湯を注いで飲んだ。あいちトリエンナーレに夏行った時の名古屋みやげだった。たのしかった。まずくて牛乳を入れた。

ストーブのお湯が蒸発してくると焦げ臭い甘い匂いがしてくるようになって、今している。のぐちくんが昼「あったかい〜」と近づいていて鈴木さんが「燃えるよ、それ、餠も焼けるんだから」「おれ、餠持ってる!」と言って茹でたお湯がそのままだからだ。「このお湯は衛生的にあれかもだから…」「えぜんぜん大丈夫」と言ったのに、「卵の殻みたいなのついた」というので見ると、カルキが固まったっぽいやつがもちについていて「いやだ、卵の殻みたいなの食べたくない…」と言って茹で上がった餠を洗っているのを見た。

齋藤春佳

2019/11/21 大木さん
2019年11月22日齋藤春佳

「Diorすきなの」
「ピュアポイズン」
と言って帰りがけにふりかけてくれた香水の匂いが手首からしている。

6時に目が覚めたけれど、なんとなく体がへんにだるくて、さむいのか?湯船を作って湯に入ってみて、そのあとまた少し眠った。

ナポリタンを作ったらめちゃめちゃ美味しそうになっちゃって「おいしそう」「めちゃめちゃおいしそうなものつくっちゃいました」と恐縮のようなきもちと共に発語。賄いだからという気持ち?人参とピーマンとキャベツとウインナー少しが入って目玉焼きの乗ったナポリタン、別に自分の冷蔵庫じゃないからなかなか難しいが年末に向けて冷蔵庫にあるものを一回さらにして、不安なところや足りないところをなくしてしまいたい、せっせと野菜を使っている。具に火を入れながら、少しバターを落として、胡椒を振って、ケチャップを少し焼き付けて、
フライパンのテフロンがナイフの先端でで100回突き刺しました、という先週は起こっていなかった表面の毛羽立ちを見せていて、一体何があったんだろうか、新しいものを買おうか、と不満な気持ちになる。あと、一番小さなナイフが一本ない。ステレオタイプな ”殺してそのあと証拠隠滅” の動きを連続ドラマ脳がフライパンとナイフに対して感じた。感じたのを違うよ、と思う。

「美味しかったです」と言われて「ありがとうございます」と返したのはなんかへんな感じがしてそのありがとうはやっぱ美味しそう過ぎる所の過ぎる余剰に関わっていそうだった、でもありがとうございますってのは別にへんじゃないなと思った、いつもなんて言ってるかっていうと「よかったです」だった、どっちにしろ食べ物が勝手に美味しくなっている、というきもちが根底にあって、そこに立って「よかったです」と比べると「ありがとうございます」は自分が美味しく作ったことを褒めてくれてありがとうございます、という感じにいま考えられるけどそうだったっけ?と思って、そうじゃなくて、たくさん野菜が冷蔵庫にあるの使わせてくれて「ありがとうございます」みたいな、美味しそう過ぎるものを作れた状況があるのはむしろおかげさまなんで、みたいなきもちなのだった、というのは「よかったです」もそう変わんないけど、よかったですのもう一つの根底には、誰にとっていつ何が美味しいのかは、はかれない、というきもちもある。

おがわさんにナイフのことを聞こうと思いながらカレーを作りながら、いろんなものが古いから、壊れちゃうだろうな、ふつう、と思う。ここはもう12年に差し掛かる。さつかさんとかひがしのさんとかのなかさんとか、展示を見にきて居合わせた人たちが小川さんとおはなししていて、なんかこういうのほんといいよな、と思っていた。
カレーもできて、お客さんが全員帰って、小川さんもいなくなって、ナイフのことを聞きそびれた、SNSの更新をしていたら大木さんがきて、ドイツパンの袋詰めをくれた。

焼いたプレッツェルをニコニコ食べながらお話ししながら、途中で日記の話になって、今日私なんだ、こりゃ大変だ、日記に書ききれないなと思った、昨日の出来事もまた別に日記に書かなきゃいけないっていう使命があった、大木さんが「いや日記は書こうと思えばいくらでも書けるけど、今書くかっていうと別だよね」と言っていて、そうか、いくらでも書けるか、と楽観的な気持ちになったけれど今書いてみるとなんも書ききれない。

注文されたコーヒーを淹れて、あれこれ片付けながら、さっき展示の写真が撮りきれなかったことを思い出して、
「大木さんって、アーカイブとかどうしているんですか」と聞くと
アーカイブってのを世の中簡単に捉えすぎている、取っておけるかとっておかないかだったらとっておいたほうがいいなんて小学生でもわかることなの、、、、
という話を聞きながら、飴屋さんの小説の、デスクトップ型パソコンを自転車のカゴに入れて持ち運ぶから壊れてその度にデータが消えて記憶も消える、という話も思い出していた。

夜、ふじかわさんに、なんのためにつくっているんだろうかとおもうよ、と聞かれた時の大木さんの語っている内容が指し示すことが、わかりすぎるほどわかって、わかることが嬉しいというか大木さんがそんな風に考えていることがうれしい、泣きそうになって泣かない方向に意識を持っていった。整体、という言葉を使っていた。自分は作るところでそれをやっているけれど、実行の点で弱々だ、大木さんのいろいろがその意識で実行されている、そう思うと尊敬の念が爆発した。
帰り支度をしていると、池田が
「あんたはるかをだいじにしなきゃだめだよ!」とバシバシ叩かれていた。今日よく叩かれてるのを見る。あとつつかれてもいた。

家で、サミットで買った半額の寿司の、いくらかねぎとろを「どっちがいい?」と聞かれて、「さっき私が選んだからどっちでもいいよ」と言うと、「選んでくれ、今日大木さんにはるかを大事にしなって言われたから」と言っていて「言っていたのはそういうことなのかな?」と笑いつつそしたらいくらを選んで箸で持ち上げる瞬間「ただ、このどっちかをえらぶとサーモンとマグロどっちを食べるかが必然的に決まることになる」
罠っぽい。

Ongoingで、今日の服の成り立ちを聞いた。
「これは何十年前の盗品」
「これはさいきん買った」
「これはもらった」
「これは最近もらった」
「これはアラタニウラノでのパフォーマンスの痕跡が残ってる」
「これとこれとこれが三重になって、イスラエルの色になってる」
「これは3日前モッシュしたら千切れちゃった、イスラエルで買った」

「Diorすきなの」
「ピュアポイズン」
と振りかけてくれた香水の匂いはもうシャワー浴びて一回眠って起きた今はしてない、最初書き始めながら、自分多分もう寝ちゃうんだろうなと思って実際寝た、起きて続きを書いていて、昨日のことを、日記では語り尽くせない、日記は語り尽くせないなと思う、かと言って私は話すともっと語り尽くせない、というか状況描写を言葉で行う時に事実がかたられているかというとそれは、事実を元にしたそのひとの語り口を聞いているだけなんだな、だから価値がないとかじゃなくて、むしろその頭の動きを含めた身体性の、表面を味わうこと、見事でも見事じゃなくてもすきだなって、思う、思うというか常ではなくて、思った出来事が今年は何回かあった。

齋藤春佳

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