扇風機のリズム風の優しい音で目がさめると右と左に天使が寝ていた。昨日の晩、愛娘たちがレジデンスに泊まりに来ていたのだっけ。髪の毛をやるから6時半に起こしてと、すっかりオシャレさんのおねーちゃんの言葉を思い出し、「時間だよ」と起こすと、あと5分といってスヤスヤとまた寝てしまった。お腹をペロリと出してまだまだ深い眠りの底にいる妹も。朝ごはんを作らないとリビングに降り冷蔵庫の中を見れば、Ongoingの屋上で取れたピーマンとナスが。ナスは薄切りにして水に浸し、ピーマンは千切りに。フライパンに油を敷いてナスとピーマンを炒め、そこにみりんと水で溶いた味噌を絡めて完成。母親が昔よく作ってくれた料理を、今は娘たちに作っている。「もういい加減起きなさい」と二人を起こすと、小さな妹は眠そうに朝ごはんを食べはじめ、おねーちゃんは長くなった髪をシャワーで濡らし几帳面に櫛をとおす。1時間以上も早く起きたのに、結局朝ごはんに時間がかかってしまい、ギリギリにレジデンスを出て車で学校へと送る。「また夕方にね」と、手と手でハイタッチ。失われた日常を追体験。
帰ってから善福寺公園へジョギング。毎回30分、週二で走ることにしている。英語の勉強も兼ねてBBCのインターネットラジオをききながら池の周りを走るのだけど、水を見ているといろいろな記憶が蘇ってきて、ニュースの中身が全く入ってこない。まあ英語だし、BGMみたいなものだね。
汗だくになりながら携帯をみれば「水道屋さんがきていますよ」とメッセージ。オーストリアのウィーンに留学しているタダちゃんが数日間レジデンスに泊まりにきていて、水道の修理の対応をしてくれたみたい。すぐにシャワーを浴びたかったのだけど、断水し工事をするそうで、リビングでしばしタダちゃんとおしゃべり。「日本マジでやばくないですか?」と2年間の不在の間に変わった日本の負のイメージを止まることなく話してくれる。こちらは止まることのない汗にまみれながらストレッチを続けタダちゃんの話を聞く。ふむふむ、そうだよね、ほんと。
やっとこさ工事が終わりシャワーを浴びる。前回の日記も偶然そうだったけれど、今日は大学で講義で、しかも最後の授業の日。タダちゃんと話をしていたせいか、彼女が仕切って作ってくれたピンクのOngoing CollectiveのTシャツを着ていざ出発。大学について、今日も一人で食事を済まし、授業へと。「今日で最後だねー」と生徒に話すと「えー、悲しすぎます」「この授業が一番楽しみだったのに」と泣けるコメント。僕もいろいろ話が聞けて楽しかったですよ。授業が終わるころOngoingで今度打ち上げをしたいとなり、もちろんいいよと答えるが、学生たちの半分以上が20歳以下だと知り、お酒は出せないことに気づく。ソフトドリンクの打ち上げか。
大学から帰り、天使たちに再び会いに。今日はおねーちゃんの英語の塾の日で、しかも年に一回の保護者参観なのでした。去年は、参観中爆睡していたので「今日は絶対寝ないでね」と念押しされる。授業が始まり、すぐに強烈な睡魔に襲われるが、娘に嫌われるのが怖く気合いで乗り切る。「ニョロニョロ」と娘たちが呼ぶ、タピオカのジュースをせがまれ購入。すぐ近くに「ゴンチャ」というものすごい人が並んでいるタピオカドリンクの人気のお店があるのだが、あくまで「ニョロニョロ」を選ぶのはメジャーには屈しないという血がさせるのだろうかと、どうでもいい想像をしながら一口もらう。甘い。
おねーちゃんを家まで送り届け、その足でOngoingへ。今日は父親と叔父がOngoingに来ていた。不定期で開催される「兄弟会」と称する父兄弟の飲み会の帰りに必ずOngiongに寄ってくれるのだ。お寿司のお土産を平日のカフェ担当のはるかと自分に買ってきてくれていて、それを頬張りながら父と叔父の昔話を聞く。ほとんどが聞いたことのある話の繰り返しなのだけど、それがまた耳に心地が良い。70歳をとうに超え、すっかり小さくなってしまった二人の老人の話は、圧倒的に暖かく尊い。
二人の小さな天使と二人の小さな老天使に挟まれた長くも短い1日。
小川希
デッサン1
デッサン2
デッサン3
昨日一人で行った「黒山三滝」でのメモ・デッサンより抜粋。
川角君がアメリカ体験と比較して日本の気候. について「すぐに苔がはえてモノや作品が壊れる」と言っていたのを思い出す。
女滝の滝壺付近にて.
(それにしてもソウカイだ!作品など湿気を帯びて壊れてしまえばいいだろう!!) 2019.6.28
越生・黒山三滝.調査 1日目.
前回以上に森や、シダや、冷たい空気や岩や水がセマッてきた.
下流、天狗 上流に男滝、女滝.と確認。
また気が向いたら来たい。
男滝.滝をよく見れる距離でながめる.ぱっと見は、白っぽい落下する水.という漠然としたものだ。
-中略-
落下速度も体感としてわかる。
-中略-
よく視ると「くだけた水が散って落ちている印象」。
その形は三角がねじれ分散しているような形。矢印にも見える。
……………………………………………………
適度に動くことができた一日だった。
気が向いたら、来よう。
高橋
凶悪な宇宙恐竜のように硬質な長い首を振り回して、粉塵のむこうで嫌らしいダイダイ色のショベルカーが暴れている。
バキバキバキバキ。
眼に映るもの全て、あらゆるものを獲物として、敵として認識しているのだな。
手当たり次第に躊躇なく、優しさのカケラとて有るわけも無く、執拗かつ的確に、射程圏内なべてをその強靭なギザギザの牙で貪り、粉砕し、食い散らかす。
バキバキバキバキ。
迸るマキシマム・ギガ・ネガティヴ・エネルギー!!
哀れ、逃げ惑うすべを持たないまま、グッタリとなすがまま、微塵に蹂躙されるのは、主亡き後のアトリエと、取り残され、みはなされた物たち。
バキバキバキバキ。バキバキバキバキ。
バキバキバキバキ。バキバキバキバキ。
バキバキバキバキ。バキバキバキバキ。
バキバキバキバキ。バキバキバキバキ。
瓦礫と土埃の隙間からチラリちらりと、美しい色の絵の具の乗っかった画布の切れ端が見え隠れする。木枠ごとたやすく骨折させられ、畳まれて、タンポポの綿毛のようにも軽やかに吹き飛んで散りぢり、小さくなっていく。キャンバスはただの柔らかい布だとぼんやり気がつくが、もう遅い。
よくぞ集めた様々な釣り道具。足の千切れたカエルのルアー「かへるくん」。
バキバキバキバキ。
ロクに弾けないのに沢山のギターとか。切れた弦の白鳥の歌「Born to Lose」。
バキバキバキバキ。
読みもしないのに積んであった立派な書物や、こちらは読み込んだ少年漫画(JC)。
バキバキバキバキ。
やたらと物持ちが良かった衣類。カッコイイ帽子やイカしたジョンソンズのブーツ。
バキバキバキバキ。
あとは食器とか工具とか、買ってから一度も目を向けなかったお土産品とか。
酒の空き瓶、昔のおもちゃ、いつか作品に使うはずだったガラクタなんかも。
レコードとかCDとかカセットも。
バキバキバキバキ。
バキバキバキバキ。
そんな陰惨な光景。白昼の惨劇。公開処刑。セ・ラヴィ。野次馬さえも居ない.
或いはそれはそれでまた、例えばジャン・ティンゲリーの私の大好きな「New York賛歌」みたいにあっけらかんとした情景にでもなるといいな?
ああ。しかし。
なんかウンザリだな。
バキバキバキバキ。
バキバキバキバキ。
バキバキバキバキ。
バキバキバキバキ。
空き地を見るたびに、他人の家屋の解体作業現場を見かけるたびに、
頻繁に心によぎる下降的幻影。我が死後のわたしの知らない世界。
あああ。
才能と運と気力と体力と知力と努力と根性と金と地位が無いなあ、無かったな。
バキバキバキバキ。
ウンザリだなあ。
小川格
水貼り。やりながらやり方を思い出して失敗してやり直したりして見積もりよりも時間が全然かかった。
おつかれさまでーす。ぁおつかれさまー。暑くなりましたね。プールの時は寒そうだけど。うん、なんかもうなむははあやねー。
……イラストレーターさんなんですか?なんか聞いたー。え、いやいや、イラストはただ趣味で。昔ウェブの仕事とかしてたってだけで。あ、そうなんだー。なんかイラストレーターってことになっちゃってる。うん、イラストレーターだって聞いた。笑。ほんと趣味。へえーそうなんだ。
……わたしも絵を描くんですよ。趣味っていうか…まぁあれなんですけど、、えー!そうなんだ!なにで描くの?油絵とかです。えー!すごいー。こんど教えてもらいたい。
学校とか美大?うん、たまび。えぇーすごい。尊敬ー。美大ですか?ううん、たまびに行きたかったんだけど、受からなくて、くわざわ。ぁくわさわなんだー!へえー。実家が南大沢だから、たまび行きたかったー。あっちの方に住んでた?うん、橋本に住んでた。橋本のTSUTAYAわかる?あ、駅の?そうそう、あそこで四年くらいバイトしてた。えー!じゃあ会ってるかも。ねー。でも何年卒だろ?2009年卒。うーん、雨宮さんとか知ってる?えっ?!?!雨宮庸介さん?ううん、ようすけさんじゃないなあ。あと誰かいたかなー。丸山さん?とか?予備校のときの友達とかけっこういるんだよね。へえー。予備校どこですか?トウリンってゆうとこ。えー!!わたし講師してたー。えーー!!すごーーーい。うん、卒業してから少し。てか講師?!ってめっちゃうまいんじゃん。いやー、ハッタリですけどねー。いやいやー。先生とかすっごいうまかったもん。すごいわ、レベル違う尊敬ー。でもビックリこんな偶然あるんだー。学校はまだしも登臨知ってるとわ。狭いからね〜。いやーすごいびっくり。こんど絵見てみたいなー。いや〜はははは。
出津京子
昨日(19日)は小川さんと飲んでて盛り上がって終電を逃し、はじめてレジデンスに泊まった。
五時半くらいに起きだし、家に帰ってまた寝る。昼頃起きて期限が切れたパスポートの再発行を申請しに、相模原の実家の方に行かなきゃいけない。
そこまで二日酔いではないけど、駅前の「くじら食堂」でラーメンを食べて、元気をだす。醤油ラーメンなので二日酔いには優しい。(ラーメン食べれるのはそこまできつくない。きつい時はまずコカコーラ、その後かけうどんを食べるしかないというのが長年の研究のファイナルアンサーだ)
むくんだ顔で写真とか撮りつつ、それでも結構スムーズに申請終わる。
久しぶりに実家に帰って、明日(21日)のオンゴーイングのイベント「政治と芸術」の参考資料になるかなと思っていた香港アーティストユニオンの人の文章を翻訳してみる。たまたま知り合った香港の作家がシェアしていて、なかなか良い文章だなと思って小川さんに提案してみたら、オンゴーイングとエクスチェンジプログラムを始めた張本人だといわれて驚いた。
訳してみるとかなりインテリ感のある文章で、どうかなあ、オンゴーイング向きかなあという疑問にかられつつ、結局日を跨いでしまってから訳し終える。
もう21日のイベント直前になってしまったけど、とりあえずここにも載せときますね。興味あったら読んでみてください。まんま「政治と芸術」が主題になっているので、共感できるかもしれない。
—
香港にいる、香港と共にあるアーティスト、アーティスト志望者、アートに触発された人への公開書簡
アートを作り出す人、アートを成り立たせている人へ
私たちは今、アートにおいて、アートと共に、アートの為に、アートとして行っていることをプロテストに参加する為に中止しなければならないような試練の渦中にいます。これは以前にも起こって、今また起こり、そしてこれからも何度も起こるでしょう。
互いに肘を組み合って行進するために今抱えているものを一時中断し、予定を繰り合わせるという行いは美しく、やむにやまれず、またとりわけ危機的状況においては緊急的に必要となるでしょう。私はこの手紙をそれを非難するために書いているわけではありません。全くない。私はプロテストの為にアートをないがしろにしなくてもよいという事例を作り出そうと、これを書いています。我々は両方を同時に行うことができるはずです。いやむしろそうしなければなりません。
私の考えはこうです。アートはプロテストのために時間と空間を作る為に停止されてはならない。私はプロテストとアートが真の意味において二分法となると考えることを拒否する。私は真の意味においてそれらが相互に排除的であるかのように、片方をもう片方よりも重要なものとして選ぶことを拒否する。軋轢は路上にある−それぞれの体に、失われてしまった体に、争点に。アートに携わる私たちへの試練はより大きくなっていくでしょう。我々はプロテストからだけでなく、アートからも必要とされています。我々はプロテストする身体になるだけでなく、しなやかで、感覚的な身体になる必要があります。描く、塗る、踊る、動く、跳ぶ、触る、笑う、口笛を吹く、夢見る、ぼんやりする、質問する、考える‥‥私たちが行ってきたこれらのことは私たちが自己規定する(rule ourselves)、その自治のあり方をより良く豊かにすることができるでしょう。
私たちは私たちを支配しようとしてできない者たちと向かい合っています。彼らは名付けられないものを押しつぶつすことで支配します。もしくは彼らは彼らが恐れるものを名付ける(縮減し、コントロールする)ことで押しつぶし、彼らのナルシスティックな侮蔑の対象に格下げしようとします。自らを規定するために、私たちはもっと上手くやらなければなりません。
支配しようとする者たちは絶えず夢想家を殺したいと望んでいます。これは人間の歴史でいつも起こってきました。彼らの不安や無意識を見通す人たち、自由な精神には境界線がないことを知っている人たちを恐れるからです。自らを規定するために、私たちはもっと上手くやらなければなりません。
アートは安全ではありません。独裁政府が全てのことに要求を突きつけるとき人間の根源的なものが全て安全でないのと同じように。もし自らがアートに必要とされているということを忘れさろうとしているならば、私たちは専横的な権力に人間性の根幹を破壊されようとしているのでしょう。自らを規定するために、私たちはもっと上手くやらなければなりません。
プロテストは異議を唱えるのたった一つの形ではありません。アートもまた、規範を減らし、異なった考えを主張することによって異議を唱えることができます。私たちは社会によって統制された日常の行動をストライキすることで、社会に浸透している専横的な権力に反抗することができます。しかし私たちはアートにおいて、アートから、アートを通して想像し、思考し、心に描きだす力をストライキすることはできない。私たちの生をストライキできないように。異議申し立てとしてのアートを維持していくために、自分たちが何者であり、自分たちの最も巧みなことを示して立ち上がるために、私たちはより強く試みなければなりません。これもまた、自由と自己決定の為の戦いです。自らを規定するために、かりそめの二分法からくる偽の選択を自らに強いてはいけません。自らをよりよく規定するために。
もし私たちがアートの中にある自らの存在を、もしくは私たちの能力の核であり、未来の可能性であるアートという手段を捨て去らなければならないとしたら、誰も私たちを救うことはできず、またアートを守ることはできないでしょう。アートこそが最も明らかにすることができる人間の本質、ニュアンスや複雑さ、不確定さから目を背けていけません。自らをよりよく規定するために。
あるアーティストの友達がジョージ・スタイナーの箴言を太平洋の向こうから送ってくれました。「ある美と慰めについてのインタビューでジョージスタイナーは1937年のソ連の作家会議について語っている。その会議では作家はスターリンに忠誠を誓うか、さもなければ逮捕されてしまう状況だった。パステルナークは沈黙を守っていたが、それでも逮捕されるかもしれなかった。最終的に、彼は立ち上がりシェイクスピアのソネットの番号を引用した。2千人の人々はそれに応えて立ち上がり、そのソネットのパステルナークによる翻訳を暗唱した。このエピソードは教えてくれる。私たちに触れることはできない、シェイクスピアを、ロシア語を、そして心から学びとったことを破壊することはできないと。」
ヴァーツラフ・ハヴェルの言葉もまた鳴り響いています。「社会を『上から』観察している人々はせっかちになりがちだ。かれらはすぐ現れる結果を求めている。すぐ結果を生み出さないものは愚かだと断じてしまう。彼らは年月が経ってからでないと評価できない行為、道徳的な要素によって動機づけられている行為、何も成し遂げられないリスクがある行為に共感することができないのだ。」
私たちの本能はこれは取る価値のあるリスクだと告げています。私たちは愚かなままでいることができる。「この極端なエネルギーのあり方、本能の統治、直感の徴用システム、それこそが芸術家のしるしであるが、それを名付けるための正しい言葉をまだ我々は手にしていない。」(ジョージスナイダー、「真の存在」)
このエネルギーが我々を手放しませんように、我々がこのエネルギーを手放しませんように。
行進の中で、ストライキの渦中で会いましょう。もっと多くの行進を、もっと多くのストライキを。
楊陽
2019年6月14日
#香港藝術家工會
翻訳:高石晃
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原文はこちら。(英語あり)
立場新聞 Stand News: 一封致現正/有志從事藝術、受藝啟發的香港人以及與香港同行者的公開信
高石 晃
日記なんて今まで書いたことがなくて、(正確には書こうとしたことはあるけど続かない…。)日記の話が回ってきた時は、困ったなぁこりゃ。という感じでした。だって恥ずかしいじゃない?
(と言いつつおしゃべりだから書くよ。)
最近は仕事が少し変わって、何だか世の中不思議だなぁ、なんていろんなところにギャップを感じちゃうけど色んなところに色んなタイプの溜まりがあるのかなぁなんて。1つの組織に入るとその中で求められる姿勢が何かしらあるから、ちょっとまだ馴染めなくて大変です。
だから最近は日付が変わる前には記憶が飛んじゃって夢の中です。夢は全く覚えていません。朝は5:30〜6:00くらいに起きます。人生の中で今一番早起きスタイル!それはとっても面白い!(えっ?みんなそれ普通?)でも夜は眠くて大変!みんなの睡眠事情が知りたくてたまらないよ!
仕事が終わってぼんやり帰りながらあるアパートの出窓にいる猫ちゃんに会うのがとても幸せです。ついいるか見ちゃいます。今日も会いました。目が合ってくれるようになって嬉しかったです。
あと、今ちまたで流行りの作り置きライフは私の性にはあまり合わないようです。毎日永遠と作ってしまいそう。(でもたまにパタリと何も作らなくなるよ。)ちなみに大したものは作れません。
最近までレンジがない生活だったので(!!)こないだやっと買ったレンジでお肉を解凍しました。まだ癖がわからないのでまだ色々試してみる予定です。楽しみ楽しみ◎
あとさっき調べたものはお米の消費量。サイトにもよるけどうちのお米の消費量が高いなって疑問が確信に変わりました…!女性以上男性未満の食べっぷりのようだ…!いつもお米ばっかり食べちゃう!お米美味しい!
あと、美味しいパン屋さんとケーキ屋さんは常に探してます。食い意地。
本もネット通販で買った。
ぅ〜ん、これって日記?でも交換日記って相手がいるからまぁ良いか。
あっ!今日は職場で午後に仕事のチーム?にケーキを買いに行くお仕事をしたのと、別の階から年下の子に(ほずみちゃ〜ん!ご機嫌よう!)って声かけられたから誰だがわからなかったけど(ご機嫌よう!)って返しました。
宮本穂曇
6月17日前橋、快晴 強い風
今日はお休み。
昨夜は勤務先でのオープニングパーティーがあったため、深夜帰宅。
朝、起きると体が重い。
早く寝ればいいものの、今見続けているドラマ「おしん」を何本か見たためか、3階までの往復を何十本したためか。。。おお、日記っぽい。
数週間前に阪中くんとの会話でもうすぐ自分の回が周ってくると知ってから
人に読まれることが前提の「日記」についてぼんやり考えていた。
旦那さんは「日記のネタがない!」と言っていたり、えみちゃんは飲んでいるときにも「今日の日記私なんですよー」などと、それぞれの日常の中でこの日記に関する比重の大きさを感じていた。
「読まれることが前提の日記ってなんだ?」
若かりし頃書いていた日記は、引っ越しのごとに捨てた。
荷造りの段階で読み返し、あのどうしようもない恥ずかしさ。
体全身からヒョーってなるかんじ。
ましてや、自分に何かあったときにあの恥部の塊だけが残るかと思うといたたまれない。
結局、書くことで得られる自分との時間よりも恥ずかしい自分との対峙が嫌で、書かない持たない残さないと。
妹が「お姉ちゃんはさ、いちいち気にしすぎ!。そんな小さいこと気にしとったら
早死にすらいぜ(富山弁)」と炊きたてのご飯を食べなが冷たいカフォオレを飲み氷をガリガリかんでいた。
そう、結局は「気にしい」なんだと。スプーンの口に当たる角度とか、白米とカフェオレの組み回せとか、他者からのイメージとか。
あぁ、なるほど。だから私は作家になれなかったんだな。
もう、17時22分!やばい。旦那さんが帰ってくる。
土と戯れたラクダさんのお湯の準備をしなければ!
中 一恵
私が日記を書くときは大概メランコリーな気分のときで、なんとか抜け出そうと日記に書く。そのときに響いた音楽や景色、助けてくれた人の言葉などを綴って頭ん中でループさせる。今はそんな気分ではなかったけれど、今日はそんなときのことを思い返していたから、2年前に亡くなった二人の友人の生き方を思い出していた。そうそう、昨日開催された2年前と同じイベントの片付けをしているときに一人の訃報も聞いたんだった。そういう時期なのかな。
今日はお休みだったから、京都へ『セレブレーション ー日本とポーランドとの現代美術展ー』を見に行った。道を間違えて大阪方面にぐるりと大回りして、車の中では久しぶりに金氏さん作品ジャケットの蓮沼さんのCDを聴きながら、京都についた。京都も久しぶり。1月に山下拓也くんの展示を見に行った雪の日以来かな。会場の一つであるザ ターミナルキョウトは初めて訪れた。いわゆる京都の町家を使ったところで、美術館やギャラリーではないけれどそれは美しく整った空間に展示されていた。出ようとしたところで素のちびガッツさんに偶然あった。小宮太郎さんがOngoingで展示をしていたときに、花と鼻の手作り衣装を纏い、顔も緑でペイントして登場した彼。私も初めて会ったからその姿にどう反応したらいいのか戸惑ったけれど、「Ongoing冷たかった・・」と言っていた。その後、京都芸術センターへ向かった。徒歩10分位でつく。京都芸術センターでは、1階から4階の普段は展示で使わない場所など多くの部屋で開催されていた。結構なボリューム。まず入ってすぐにコンタクトゴンゾの映像作品97分でつまづく。展示の部屋を回りながら、ここで昔亡くなった二人と会ったことがあることをまたひっそりと思い出していた。小泉明郎さんが展示していた和室は、広くてモダンな照明が天井から吊るされていた。上映時間54分だったけど座布団の上でゆったりと見れてあっという間に感じた。階段でOngoingに展示を見に来ていた外国人と偶然出会う。向こうもびっくりしていた。そろそろとロームシアターに向かう。ロームシアターは会場としてなんで入れたんだろうと不思議に思った・・。ということで展示は終了。併設の蔦屋で本をいろいろ見つつ、久しぶりに服つくってみようかなと思った。夜はワインを飲んでチキンを食べた。
なんだか思い出したことがごちゃごちゃに錯綜して動悸がとまらなかった。散歩して私の大好きなねじ花を見つけた。相好を崩してそういう時期だなと思った。
たこ
朝7時、マイサン草太が既に活動を始めて、ひとしきり1人で遊んだのち退屈して泣き出したので起きる。
9時。いろいろあってバイトの一環で群馬のフリーペーパー(クーポンがいっぱいのってるやつ)の隅っこにコラムを書くことになって、育児に関する雑感などを書いた。その校正が送られてきたので確認する。
「赤ちゃんに、パパとママどっちが好きかと聞けば、どう考えたってママがいいに決まっているんですよ」という政治家の発言について触れてる箇所がゴソッと削られてた。
我が家で、パートナーがフルタイムで働くようになって、僕が子供を見るようになってから、子供にママと呼ばれるようになっている。その事を踏まえると先の発言はいやぁー的を得てますねー感心、と書いたのだけど、やっぱダメだったかー。
あとイクメン、という単語に対する僕の呪詛みたいな感情を文章に混ぜ込んでみたけれど、やっぱり削られていた。
11時、前日に絵美ちゃんに借りたレインコートを入れる袋が無くなってると怒られる。ものは大事にせねば。。。
13時。駅伝芸術祭の記録写真のセレクト作業をする。匍匐前進する佐塚さんのカットが日めくりカレンダー2年分ぐらいある。
15時、草太とダンボールで遊ぶ。玩具以外のもので遊ぶ方法をプレゼンテーションするときのみ、自分が彼より28年長く生きていて、この世界について詳しい存在だと感じる。
17時。レインコートの袋はそもそも受け取っていないという事が発覚する。遺憾だ。
19時。前橋のアートスペース、ya-ginsに行く。アーツ前橋のレジデンスで来たアーティストのジェミニのウェルカムパーティー。
日本におけるポストコロニアル料理としての肉じゃがの話を聞く。イギリス海軍を経由しないベトナム・琉球経由のカレーが九州地方に残っている、という思い付きを話す。
パーティーの主催者が数日前、施工の仕事中に作業用エレベーター(?)のカゴごと落下したそうで、お尻に残った巨大な痣を皆で鑑賞する。ロールシャッハテストのような立派な痣だった。
帰宅。草太の寝顔を見て多幸感を楽しむ。この感覚は、なんというか僕が個人として幸せである、ということより種の生存戦略の一環として育児の対価にセッテイングされている脳内麻薬という感じがする。
27時、寝る
阪中隆文