Ongoing Collective DIARY

戻ってみたかった3年前
2020年5月4日出津京子

いつも夜寝る前にスマホで2、3年前くらいの写真を見るんです。子供たちが赤ちゃんの時の写真を見るのが好きで。めっちゃかわいいから。上の子が3歳で、下の子が0歳くらいの時とか。育児としては1番大変な時期だったと思う。間違いなく大変だった。余裕がなくて。

こないだ、デパートのレストスペースみたいなところで、3歳くらいのお姉ちゃんと、0歳くらいの赤ちゃんにごはんを食べさせているお母さんを見たんです。うちの子たちは外の遊ぶスペースに行ってて私はひとりで座ってた。その3歳と0歳の赤ちゃんのお母さんはとても忙しそうだった。赤ちゃんに持ってきた離乳食を食べさせて、その横でチョコドーナッツを食べるお姉ちゃんの食べこぼしを3本目の手でふいたり、こぼれそうな位置にあるジュースを4本目の手で移動させたりして。
3年前の自分を見ている気分になったんです。3年前はまだ上の子が、入園していなかったので、毎日なんにも予定がないし、24時間3人で過ごしてるってかんじで、果てしなさすぎ、と思ってた。でもいつのまにか時は過ぎて。
その夜写真を見ていたら、今の自分のまま3年前に一週間か1日か少しだけ戻りたいなって思ったんです。赤ちゃんだった息子に会いたいし、3歳だった娘をもっと抱きしめたいと思った。
一刻も早く大人になってほしいといつも思ってるし、可愛いまんまでいてほしい〜とかは全く思ったことがなかったので、チラッとでも初めてでした。(母性足りなすぎなんですかね?)

そんなことをこないだ思ってたら、コロナで大変なことになって、幼稚園も小学校もなくなって、24時間娘と息子と一緒になった。3年前にもどったみたい!もちろん毎日ウンザリしてるんだけど。お前、こないだ戻りたいと思った気持ち忘れんなよ。って思ったり。
分裂した日々を過ごしています。

ムーンライト
2020年5月4日

今朝は7時と比較的遅めの起床。昨晩近所のギャラリーとzoomで意見交換していて、夜遅くなってしまったためだ。経済的にどうやってまわしてくか割と赤裸々な話。近所にいながらいままでなんだか疎遠だったけど、今後協力していやっていこうと話せてよかった。
今日も午前中からいつもの公園へ。その後食材の買出しにと街にでると昨日からの連休のためか人が多かった。

夜寝る前に今週最後の日記書かねばと思っていたのに、やっぱり息子と一緒に寝落ちしてしまい気がつくと、日を跨いで午前2時。今朝ようやく登録したnetflixで映画見ながら寝ます。

銀色の球体
2020年5月1日

今日も午前中から公園へ。その帰り道、下町のほのぼのした雰囲気からあきらかに浮いたSFの要塞のような建物がある。建築家・長谷川逸子さんの設計の施設。ここもコロナの影響で閉館中、そとからぐるぐる眺める。施設全体も面白いれど、この施設内にあるプラネタリウムが気になってる。助成金を申請していて、そのうち展示をできないか計画中。プラネタリウムでの展覧会、なにやろうか。夢想するだけでたのしい。球体を使った映像の展示か、プラネタリウムを稼働させて暗闇の中、人工の星の光で絵画をみるとかも悪くないかも、とか。コレクティブのメンバーにも参加してもらえるかな。
除菌シートがほしくて毎日のようにドラッグストアをのぞいてるけど、今日も買えなかった。緊急事態宣言が1ヶ月延長されるみたい。夜はzoomで今後についてりんたろうくんと相談。

1歳児とホモ・サピエンス
2020年4月30日

今朝は4時半に起きて、いつも通りコーヒーを淹れる。最近はいかに自分の自由時間を捻出しようかと考えて、早起きしてこの早朝の時間を読書や映画や諸々の作業にあてることにしてる。今朝ここ数日読んでた子どもとことばという新書を読み終えた。この本、息子がが生まれてすぐの頃に一度読んだけど、最近自ら言葉を発せるようになってきたり、こちらの言っていることを理解し始めているので読み返していたのだ。
子どもの言語の発達過程には、人間の人間たる所以みたいなものが見えてきてとてもおもしろい。
例えばこどもが言葉を発する前段階で行うようになる、指さし。ことばは自分とは遠く離れた対象を表現することができるけど、この指さし行動を経ずしてことばは現れないというのはとても興味深い。直接触れてしか指示できなかった段階を経て、離れたものを指示できるようになってくる。言語は人間固有の能力とされているけど、この指さし行動も人間固有の行動らしく、他の動物では直接手を触れて示すことはあっても、自分と離れた遠くのものを指先で指示することはないらしい。
そして言語の象徴機能。言葉は対象を、対象とは本来関係のない音声で置き換える、象徴する作業ともいえる。これは様々な段階を経て、対象が目の前になくても頭の中でイメージすることができて初めて可能になるよう。これはおそらく人間がなぜ絵を描くことができるかという問題と大きく繋がっている。今から3万年前。それまでのヒトが人類になり、初めて絵を描くことができたその瞬間にはシンボル機能の進化があった。描かれた場所が、動物の見えない洞窟の奥底であったことは、目の前の対象を写したのではなく頭の中の表象を出力したことを説明してるし。人間が言葉を話せることと絵を描けることって表裏一体なんだなと。
とまあ、考えてみれば当たり前のことなんですが。

コロナ禍の日常
2020年4月27日

朝6時、息子の声で目を覚ます。ラジオのスイッチを入れ、別所哲也のグッドモーニングレディオを聞きながら朝飯の用意。ウインナーを焼いて、昨日作ったさつまいものレモン煮と買ってあったオリーブのパン。あとコーヒーを淹れる。そういえば今家で使ってるコーヒーミルは、わりかしちゃんとしたものなんですが、これはギャラリー用に買ったものだった。3月中旬くらいに買って次のオープンから使おうと思ってた矢先、コロナの状況が悪化してオープンできず自宅で使ってる。
休廊の最中、ここのところ東山さんの本の作品集を作りたいなと考えてた。またそれとは別に、オンラインではなくて、なにか別の新しい展覧会か形式ができないかぼんやり考える。
子供を連れて朝の公園へ。向かう途中に創業110年以上続くという地元で有名なとても安い八百屋があって寄る。アドマチック天国にも出てたらしい。安いだけにいつも賑わってて、リスキーなのでささっとズッキーニとなすと豆腐買う。ズッキーニとかでかいのが7本200円、その辺のスーパーで買うのの3分の1くらい。豆腐も5丁で100円。ものの値段とは、、。
公園着。朝の公園は人も少なく気持ちいい。ここは遊具はあまりなくどちらかというと緑地という感じで、大木とか雑草も適度に荒れてていい。というかコロナだから手入れが行き届いてないだけかもしれない。けどこれくらいでいいと思う。草をむしったり歩き回る息子を見ながら、息子のためにこの先なにができるのだろうかとまたぼんやり考える。ひとしきり遊んで家への道中。奥さんと昨晩のzoom飲み会、聞いてるだけで楽しかったねと話す。畑で働いている村田さんがコロナの収束には2年かかると言ったのに対して、柴田さんが土をいじってる人の時間感覚はやはり違うと言ったくだりが一番うけた。それ鈴木大拙もいってなかたかな。家へ着き、昼飯を食べて息子は昼寝の時間。いまこの日記を書いてます。息子が起きたら昨年祖父母に買ってもらった屋内用の鯉のぼりを組み立てよう。夜は最近、寝かしつけてるうち自分も寝落ちしてしまうのでここで切り上げます。

2020年4月26日多田佳那子

slumber 眠る まどろむ

壁 mural

rudiment 根本

simpering 作り笑い

fitness 生活する環境に対する適応度(ダーウィン)

終える top off 仕上げをする

通poignant 説

undulant 波打つ

左からの光 graven image

superstition 送信

もやもやするから日記書いてみた。
2020年4月24日多田佳那子

タイトル通り、もやもやして眠れないので日記書いてます。ってなんか娘(むすめ)っぽいな。はずい。
コロナウイルスの影響で、大学の講義が、e- learningか、zoomか、メールになったのですが、私ってつくづく大学に向いてない。。かれこれ人生の大半、大学に所属している身なのですが、なーんか、むず痒いんだよな。

一方で、大学にしかない知識のアーカイブや、学べることが文字通りあるし、アーティストとしてこの保守化する世界において、こんなフーテンが、滞在許可を貰えるのも大学のおかげなのだが、その利益だけのために大学にいまーしゅ イェーイって割り切ってる訳でもないのだ。
この2年間、アカデミーにいて、成長したこともあったし、正直「は?これ明らか人種差別or非独語・英語話者に対するいじめですよね?」なんて事も死ぬほどあった。まだまだ世界は真っ白だし、ぶつかり合いが多くて、激しい世界だ。
ここに比べると武蔵美まじ天国だったな〜。

でも、大学に入って良かったと思うことは、自分で選んだものだけでは暮らして行けない所だ。ドイツ語もまず学校にいなかったら勉強しなかったし、リベラル・アーツ、ほど広くはないけど、政治のことや、脱植民地主義、哲学、解剖学など、学んだことがないものに触れることができた。思い通りに意思疎通できない悔しさも沢山あるけど、裏を返せば、また赤ちゃんのように毎日0から学べるのだ。人生は冒険!

庭と思い出
2020年4月24日多田佳那子

私は、中途半端に人に近づき過ぎる。沈黙も内緒もあるけど、たまにものすごくテンパーになって、あれもできる、これもできる!ってハイになってしまうのだ。反省。
小さくても成功体験を作る。
一日3分でもそれに近づく作業をする。
事務作業を愛する。
地味な仕事をする。
アパートの隣のビルが取り壊された。近づいて見てみると、家は一つ一つの煉瓦でできていたことがわかった。
去年、日本語で直訳すると、「くり返すことは愛」という作品を作った。線を引く。粘土をこねる。字を覚えるために何度も書く。色を塗る。積み上げる。
Etel Adnan という、レバノンの作家を私は尊敬しているのだが、彼女のインタビューで、「西洋思想は手仕事と魂を切り離し、手動的な仕事を思考から切り離したけど、物を作るということ自体が、思慮と想像力で作られた果物なのです。」というようなことをEtelは発言していた。アルチザンの仕事そのものが、黙々と山を登るような、地味で寡黙な仕事の印象があるが、物を作る(produce)ことは、コンセプチュアルな行為でもあることを、Etelは示している。日本語的表現で言うと、手と脳は繋がっているということだろうか。今秋は、工房に通って、もっと深く潜れるように、手を進めたい、突っ込みたい。

一文で、叫んでみよう。
2020年4月23日多田佳那子

無意識って基本的には見ることができない領界じゃないですか。
分からないことをなんでも無意識に押し込むんじゃねえー、無意識はゴミ箱じゃねえー!

radical in your eyes
2020年4月22日多田佳那子

Yet, all of myself, who may ringing from a far. Part of attached heave of pacient, I devote. Just screw be your side: radical in your eyes. Passion-compassion-asscociation-congnitification, be noted all school books. Sounds like a echo, velley of banks of the river, cut your fringe, for your blink from till now on.

それでも、遠くから鳴っているかもしれない私の全て。 待つことと耐えることは一部、それに私は、身を捧げる。 こんな風にねじ込こんでやろう——ラディカルの目撃者でありますように、情熱とあわれみと接続部分と覚え書きのち、が、教科書に書いてあった。
遠い、聞こえる、川の丘の岸の/////これからのまばたきのために前髪を切る、か。