Ongoing Collective DIARY

ヨーテボリ滞在記05
2020年6月23日伊佐治雄悟

先週末は北欧人にとってはマジで重要な夏至祭だった。しかしこの三日間生憎の雨が続いている。Konstepideminにいる作家のドロータさんから、「元気?ヨーテボリがいつもクソ天気で申し訳ない。」とのメッセージが届いた。夏の雨を眺めるのも嫌いではないのだけど、変人だと思われたくないので「そうだね」と返信した。
そして今日もクソ天気が続いているが、買い物がてら近所のフランチャイズのカフェに寄った。滞在始まってすぐからこのカフェを利用していたんだけど、ある日店員に日本語で「日本人ですか?」と声をかけられた。彼はちょっと前まで京都に留学していたみたいで、日本語が上手い。なぜに日本人だと分かったのかを後日聞いたら、メニューを見ている時「うーん、えーと」と言っていたらしい。
期待していた通り今日はシギさんの勤務日だった。このカフェ「エクスプレッソハウス」は日本でいうドトール並の忙しさだが、彼は構わず話し相手になってくれる。もうすぐ滞在が終わる事、コロナの事など世間話をした後、何気なく「餃子好き?」と聞いたら「うんめっちゃ好き」と言われたので、今週彼と餃子ピクニックをすることになった。

伊佐治

※最近裏山の頂上にある立体駐車場からの眺めがいいことに気づいた。深夜徘徊に最適。

ヨーテボリ滞在記04
2020年6月19日伊佐治雄悟

今日夜中にパソコンを見てダラダラしていたら、警察の様な強めのノックの音がして驚いた。スタジオに人が訪ねてくることは珍しいが、ヨーテボリでこれ程強めのノックをする人はヨハンしかいない。ノックされた時の英文例は記憶になかったが、とりあえず「Hej! What up?!」と元気よく行ってみる。ドアを開けるとやはりヨハンが、「何してる? Can I come in?」と文字通り土足で、入って来たので快くビールを提供する。何の用事かと思ったが、しばらく話しているうちに明日に夏至を控えて、多分ソワソワしていたんだろう。そう言えば自分もクソ長い日照時間のせいで躁鬱状態になっており、深夜徘徊を繰り返していた。今まで聞き逃していた彼の故郷や、ニューヨーク、ベルリンに住んでいた時の話を聞き出した。台湾に数ヶ月いた時は、若かったし自分が成長している感じがして幸せだったけど、季節が変わるくらい長く外国にいると勝手に自分が変えられている気がして心地が良い。日本に帰ったらまた元に戻ってしまうだろうか。
レジデンスする上で自分に課しているルールが一つだけあって、それは誘われたら全て断らないことだ。出不精なのでそのルールがなければ、ずっとyoutubeを見ていることになってしまう。印象的だったお誘いはやはりサウナでしょう。こちらに来る前からスウェーデン人は冬にサウナに入って、そのまま海に飛び込むって噂を聞いていたんだけど本当だった。「死なないの?」って聞くと必ずどいつも爆笑する。2月にこっちで知り合った女性にサウナに誘われた。「水着とかいるものある?」って聞いたら、どうやら日本の温泉みたいな感じで水着は着れないらしい。サウナがあるSaltholmenに向かうトラムでナーバスな気分になった。知り合いの女性と裸で冬の海に飛び込むのか。。途中駅でアコーディオンを持ったおじさんが乗って来てセントオブウーマンで印象的だった「ポル・ウナ・カベサ」を演奏し始めた。おかげで気分が紛れたのでチップを渡したが、少なかったのか微妙な顔をされた。
セントオブウーマンは母親が好きな映画の一つで、彼女は好きな映画を観た後はとても機嫌がいい。だからか事あるごとにこの曲を思い出してしまう。例えば台湾のレジデンスで日本語ペラペラのドイツ人女性に会って彼女がいつも自分がアルゼンチンタンゴを嗜んでいる事、ブエノスアイレスが如何に美しいかを話すので、何となくこの曲を思い出して「アルゼンチンタンゴってセントオブウーマンの曲も?」って聞いたら優しく「ちょっと違う」と教えてくれた。彼女は文学の研究者で当然日本文学をよく知っていた。安部公房の話をしたら思いの外盛り上がって嬉しかった。彼女が帰国する際、荷物を運ぶのを手伝って彼女がタクシーに乗る前に生まれて初めて西洋式のハグをした。今でも慣れないので、コロナでシンプルな挨拶になって安心している。
いざサウナに入ってみると周りが裸であるよりも、自分が屋外で裸ん坊であることの方が重要な気がして来た。とても自然な感じがした。みんな全裸で叫びながら海に飛び込んで、スウェーデン感を堪能した。

伊佐治

ヨーテボリ滞在記03
2020年6月18日伊佐治雄悟

気がつけばKonstepideminでの滞在も残すところ1ヶ月半となってしまった。6月、7月もエンジョイしたいところだがスウェーデン人の夏休みはガチなので、話し相手も少ないだろうな〜。ただこちらに来て散歩の大切さに気付いたのは大きな収穫だった。東京はあんまり散歩向きの天気が少ない気がする。多分残りの滞在は散歩したり制作したりして過ごすのでしょう。収穫といえば、この滞在で餃子作りが上手くなった。クリスマス時期の集まりで2回ほど餃子を作って評判が良かったので、調子に乗って何度もビーガン餃子を作ったのだ。クリントイーストウッドの餃子映画「グラン・トリノ」では、外国人嫌いの老人が近所のベトナムコミュニティと親交を持つキッカケになったのは確か餃子だった(独自解釈)。ただ、Konstepideminの皆さんは餃子がなくても親切にしてくれたけど、ないよりはあったほうが良かったと思っている。
ロックダウンをしてないことで有名なスウェーデンですが、体調が悪いと流石に餃子会などへの参加は自粛する。だから中止になってしまった餃子パーテーもあり、次なる機会を伺っている。

※写真は5月に知り合いの実家兼サマーハウスにお邪魔した時の散歩の写真。

ヨーテボリ滞在記02
2020年1月13日伊佐治雄悟

スウェーデンのクリスマスは予想通りとても静かで、どの家の窓も上品な照明で彩られていた。我々もギャラリーなどの施設が再開されるまで、のんびりと適度に退屈な日々を過ごした。最初の2ヶ月間は多少の緊張感もあったけれども、最近はとてもリラックスしている。その感じが人にも伝わるのか、道端でよく話しかけられる。スウェーデン人はイメージ通りにとてもリベラルで寛容だ。日本だったら外国人っぽい人を見かけたらとりあえず英語で話しかけてしまうが、パッと見アジア人の私にも無差別にスウェーデン語で話しかけるのだ。スウェーデン語で返事をするのに少し時間がかかりそうだが、外国人に対してとても大人だと思う。中国人が経営する寿司屋を眺めていたら、「ここオススメよ!」って言ってくるご婦人や、トラムを待ってたら「アフガニスタン?あ、日本人。何しに来たの?僕は友達と待ち合わせしてたんだけど、携帯の電池なくなったから充電しに家に戻るんだよ」っていうイラン人。
まだ慣れていな事といえば、日本と比べて自動扉が少ない。お店の入り口は大抵、子供には到底オープンできないであろう重い扉で、いつも前の人が開けた扉を咄嗟に抑えるので左手首の調子が悪くなってしまった。また店舗什器がスウェーデンサイズで若干大きいので、妻をすぐ見失ってしまう。そして、これはスウェーデンとは関係ないが、英会話のジョークのオチが理解できないことに気づいて軽くショックを受けている。みんなが笑っているところに「今の何が面白かったの?」などと聞ける訳もなく、ただその度に英語の上達を誓うのだった。最近オチを聞き逃したジョークを紹介しよう。
ある男が病院で医師に「残念ですが今晩までの命です。」と告げられる。消沈した彼は帰宅後に妻にそれを告げ悲しみに暮れたが、気を取り直して好きなものを食べ、好きなだけ酒を飲み一晩踊り明かすことにした。夜が明ける前に妻が言った「・・・・・・・・・・・・・・・・」。

伊佐治

ヨーテボリ滞在記01
2019年11月12日伊佐治雄悟

スウェーデン、ヨーテボリにあるレジデンス施設Konstepideminの滞在が始まって10日ほどが経ちました。まだ何もやっていないけどレジデンス内外の(ここには130人!の作家のスタジオがある)作家さんと交流することで、なんとなく9ヶ月間の滞在の目標が見えてきました。ぼんやりと。
日々発見があり、誰かに共有したいと思いつつも、Facebookなどでいちいち世界の皆さんのお目を汚すのは忍びないので、この日記に記録しようと思います。
スウェーデンという国は私の実家、伊佐治家に非常に人気が高く、母親から「毎日写真を送るように」と指令を受けるほどです。60%くらいの確率でその注文をこなしています。先日「もう慣れた?」とのメッセージに「慣れた」と答えた後に、何に慣れたかを自問してみた。
慣れたこと:
・スーパー「Hemkop(ヘムショップ)」を使いこなしている。
・いいホームセンターを見つけた。
・数件の美術館とかギャラリーに行った。
・トラムを乗りこなしている。
慣れていないこと:
・牛乳だと思って買ったものが飲むヨーグルトだった。追加で慎重に選んで買ったが、やはり飲むヨーグルトだった。
・簡単なスウェーデン語を覚えて店員さんなどとクールに挨拶したいが、皆英語が上手い。
・気づくと米を欲している。
それなりに上手くやっているつもりだが、急激な生活環境の変化で自分がかなり軟弱になっていることに気づく。店員さんが笑顔で対応してくれないと傷つくのだ。スウェーデンの店員さんの98%は親切で感じがいい。それに合わせてこちらもヨーロッパ風の笑顔を見せるのだが、普段使わない顔筋が酷使され顔が少し疲れている。
そうだ。今週はプールかサウナにでも行こうかな。

イサジ


Uber eatsはじめました
2019年7月18日伊佐治雄悟

最近Uber eatsの運ぶ方をはじめました。知り合いを紹介してその人が50回の配達を達成すると6万円も貰えるようで、金に目が眩んだ古い友人に誘われたのです。彼から招待メールには一言「共に戦おう」と。ママチャリでやってみた感想としては、1日3回くらいまでポケモンGoやってるみたいで楽しいです。1日15回くらいやると段々イライラしてきて、Uberつぶれねーかなーと思ってしまいます。現在までに42回の配達をしました。

その古い友人が私の実家の庭に父自作のピザ窯があることを知ってから、「いつか一緒に帰省してピザパーをさせて欲しい」とずっとお願いをされていたので、先日妻と一緒に帰省する予定を立てました。ところが友人はゴールデンウィークに帰省したばかりだったので、今回は代わりにオンゴーイングレジデンスに来てたチョンくんを連れて行くことに。

チョンくんは勤勉です。新幹線では作品に使う資料を常に読んでおり、仕事をしていないと罪悪感を感じる、とFBで告白していました。不思議と一緒に行動すると影響を受けるもので、怠け者な私も最近はメリハリのある生活をしている気がします。おかげで配達も捗ります。しかし仕事をしていないと罪悪感を覚えるのはいかがなものでしょう?辛くない?その感情分からないではないのですが。というのも私昔は落ち着きがなくて、ずっとソワソワしてる人だったのです。あるとき損してる気がしてソワソワするのやめよう!と思い立ってやめたのです(魔女の宅急便の「描くのをやめる!」ですね)。その成果として感情の起伏が少なくなりました。もうほとんどキレなくなったのです。

そこで気が付いたのですが、チョンくんリアクションが薄くない。濃い?ちょっと興味が湧く話があると、「wow(ウワ〜オ)」とか言ってくれるので話し甲斐があるのです。そんなチョンくんを私の家族もすっかり気に入り、父親に至っては昔趣味で集めていたCONTAXのコンパクトカメラとそのレンズを彼にあげてしまうほどでした。感情の起伏の少なくなった私は不安から解放される代わりに、彼のようなリアクションを失っていたのです。いちいちリアクション取るのも疲れるからね。

ずっと実家で飲み食いしていても退屈なので、次の日は姪っ子も連れて犬山市の明治村に行きました。地元特有のジメジメした熱気の中、姪っ子の興奮も頂点に達します。自然と妻が姪っ子の遊び相手(標的)となり、私とチョンくんが先行して移築された建築を鑑賞します。子供の頃から何度も来ていますが、大人になってから行くのもいいもんですな。閉園時間も近づき大人たちの疲れが溜まった頃合いに、我が姪は妻と先行する私達の約10メートル間を往復ダッシュをはじめました。流石のチョンくんも「姪っ子には何かスポーツをさせて発散させた方がいい」とアドヴァイスを受けるほどでした。お行儀は悪くないんだけど。帰宅後、妻とふたりで姪っ子が持つ無限のエネルギー活用について話し合いましたが、まだ結論は出ていません。

伊佐治

夜更かしが終わらない
2019年5月18日伊佐治雄悟

最近彼女(妻だが、妻は語感が好みでなく、奥さんは言いやすいが主婦感があって嫌。自分より働いてるから)と話していたら、自分が当たり前だと思っていたものの感じ方が彼女からすると不合理で笑えるものだと判明する。例えば「共感性羞恥(人が恥ずかしいことをしていると自分も恥ずかしくなるやつ)」とか、デリカシーはないのにやたらに人の表情を気にして疲れるとか。。そう考えると、他にも色々ある気がしてきた。

一番困るのは集中力がなく、本を読んでいても作品を制作していても、ふと気づくと別のことを考えてしまう。何かをする副作用として、何かを思い出しているのです。最近よく「思い出が大事、思い出作りたい」と公言しているのは、その主従が逆転して思い出すことの重要性が高まっているのだ。気分が良いときはいい思い出に浸り、いい思い出を思い出せばいい気分になる。いい思い出の最新作は、やはり台湾で参加したグループ展でしょうか。

いつもスカジャン着てる寺さん、台北芸術村で出会ったサイモンさん、黄金町で一緒だったロバート。とりあえず私が責任者を担当、みんな作品だけ送ってくれれば良かったのに全員来た。割と住みやすいギャラリーに4人で寝泊まりしてマジで楽しかった。

ある日、友達のイーリンとヤオチョン夫妻が「ちょっと前に完成した立派なオペラハウスを見に行こう」と車を出してくれた。なぜか寺さんを放置して、サイモンとロバートと同行。道中イーリンが興奮ぎみに「ララランド観た?」と聞いてきたが、異邦人三人は誰も観ていなかった。「なんで観てないんだ」とイーリンががっかりしていると、「ライアン・ゴズリングがマジで嫌いだから。。」とロバート。みんな驚いたが、よくよく考えると自分にも嫌いな俳優はいた、ベン・アフレック、アンソニーホプキンス、マイケルケイン、、。敢えて観ないほどじゃないけど。そんな様な会話をサイモンはニヤニヤ聞いていて、ベン・アフレックについては同意してくれた。

そう。サイモンと仲良くなったのは、同時期に滞在したTaipei Artist Villageのバーで、韓国映画の話で盛り上がったのがキッカケだった。彼が映画に詳しいので、「オーストラリアにいい映画はないの?」と尋ねると「ない」とだけ答えたのが印象的だった。加えてオーストラリアのロードムービはアメリカのそれと違い、悪い場所に向かう傾向があるとのある映画批評を紹介してくれた。その時にオーストラリアがコアラやカンガルーの楽園ではなく、塩田、不毛の大地が続く土地だと知った。そしてその数年後オーストラリアのレジデンスに参加したヤオチョンが、滞在中にスカイプをかけてきて半泣きで「退屈だから遊びに来てくれ」と懇願するのだった。「そっちはマッドマックスみたいな感じ?」「Mad Max.. sounds so fun. But no gangs here.」「意外とオーストラリアって日本から遠いね。頑張って。see you soon」。

サイモンの先祖はドイツ系でクーパーという苗字は、戦争の時にドイツの苗字から変えたそうだ。スコットランドやアボリジニの血も混ざっており、髪の毛はロシアンブルーの様な独特な灰色で口髭は赤い。最近白髪混じりで三毛猫状態。宗教は「自然信仰」。全てサイモンが確か聞いてもいないのに教えてくれたことだけど、英語を聞き取りやすい様にゆっくり他愛のない話をしてくれるのが自分の曽祖母や祖父母の様で落ち着くのかもしれない。私のお婆さん達に何度も話を聞かされた、戦時中の武勇伝を思い出す。畑泥棒を追っ払い、憲兵の奥さんに皮肉をいい、低空飛行するB29の追跡から逃れる。

彼がE-mailで最近やっと開設した自分のホームページのリンクを送ってくれた。「Hotel shaman」その美しい写真集に写っているのは、ホテルのカーテンを纏い蛍光灯を杖にシャーマンに扮したサイモン。それと5月から夏にかけてパートナーとヨーロッパを巡るそうで、「伊佐治は最近どう?」だって。

文章を書いていると、目が冴えてきて眠れない。先程一階のお爺さんがまた幻聴を聞いたようで、壁だか天井を叩いたりピンポンを連打したりする。刺激しないように布団に入ることにしよう。私の連れ合い(あまり使い慣れない言葉だが、尊敬する知人女性にこの言い方を褒められた)も舌打ちをして寝る準備を始めた。

伊佐治雄悟

 

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