電気を消して、窓を開け放っている。虫の鳴く音が聴こえる。日本で夏の夜に聴こえる虫の鳴き声とはちょっと違う。BPMが早い。ヨーロッパの短い夏の一瞬の間に死に物狂いで腰を振っているような性的な必死さを感じる。こんな風に感じるのは私が欲求不満だからなのだろうか。
暑い。今日の最高気温は40度だ。エアコンも扇風機もない。エアコンはどこにもない。レジデンスのスタジオにもないし、街角のカフェにも高級なレストランにもない。家にはもちろん、ない。3日前にひどい片頭痛の発作が起こり、それからずっと家にこもっている。ほぼベッドで寝ている。ルームメイトのAnnaの友達がノルウェーから遊びに来ていて、2人は自転車で湖に泳ぎに行ったり、ベルギーの方まで遠出したりしている。私はとにかくベッドに寝転がって、携帯を眺めたり、ウェルベックの小説を読み返している。この頭痛は治るのだろうか。今回は史上最大規模の片頭痛だ・・・
今日の朝リビングに降りて行ったら、蠅が大量発生していて20匹くらいウォンウォン唸っていて襲われそうになった。蠅ってとても五月蝿い。五月蝿いという単語の中に蝿という字が入っているのは頷ける。ここオランダではエコの概念が徹底していて、コンポストと言って食べ物などの生ゴミを回収してくれるのはいいのだけれど、回収は2週間に一度なのだ。そして普通の可燃ゴミも2週間に一度。コンポストと可燃ゴミの回収が毎週交互にある。正直言って、この頻度は少なすぎるのである。そして、この暑さ。ゴミの臭いがものすごいことになり、蠅もどこかから大量に集まってくるのである。少しましになったとはいえまだ少し頭痛がする状態で、グラノーラにヨーグルトをかけてリビングのソファに座って食べているとき、蠅の音がサラウンドシステムのような臨場感で上下左右から聴こえてきて、頭の中で天空の城ラピュタの海賊たちが空を飛び回っているシーンが思い浮かんだ。さすがになんとかしないといけない、と思った。病み上がりというかまだ病み中ではあったけれど、AnnaとAnnaの友達と協力してゴミを外に出したり、ゴミ袋の下に染み出していた汚汁を拭き取ったり、ボウボウの草をハサミで切り取ったり、炎天下のなか頑張った。すぐに疲れたので無理はやめておいた。
そういえば日本で生活しているとこんなに蠅に襲われる機会ってないなあとぼんやり考える。今は夜である。電気をつけた状態で窓を開けると、網戸がないので、あらゆる虫が入り放題である。でも窓を閉めると暑い。なんでこんな目にあうんだろう・・・なんでこんなところに1人でいるんだろう・・・と少し後ろ向きな気持ちになったので、瞑想をした。ジョグジャカルタのことを思い出した。初めてレジデンスに行った場所である。そういえばジョグジャではこんな暑さ普通だった。ジョグジャでも網戸なんかなかった。水浴びをするための水瓶の中には太いヒルがいたし、ヤモリがそこら中にいた。そうだそうだ、私は何をヒヨっていたんだろう。ジョグジャにいた頃に感じていたドキドキ感、知らないことを吸収してくときの興奮、自分がこれから体験できるかもしれないことへの期待ではちきれそうな気持ちを思い出した。あれは6年前だ。私、いつのまに年取っちゃってたのかな。
Annaはとても優しくて趣味は政治活動と公言していて地元のノルウェーではMeTooの運動をやったりしているらしい。そして彼女はあんまり片付けが得意ではない。Annaが洗ったあとのお皿は油でベトベトしている。私は几帳面で口うるさい人と暮らすよりは、ちょっと適当な人と暮らす方が気が楽なので、Annaとの二人暮らしは結構居心地が良いが、でもたまにおいおいという気持ちになる。このあいだAnnaがビール飲み歩きしようよと誘ってくれて、2人でマーストリヒト のいくつかのビールバーを飲み歩いた。彼女はちょっと変わった嗜好を持っていて、とにかく酸っぱいビールが飲みたいということで、お店の人にも一番酸っぱいビールをくださいと頼んでいた。私も酸っぱいのは嫌いじゃないので、じゃあ私も、ということで2人でさんざん酸っぱいビールを飲んだ。最終的にはビールを飲んでいるんだか黒酢を飲んでいるんだかわからないくらいの酸味に到達した。涼味だった。
地主麻衣子
今は昼の12時。昨夜はOngoing Collectiveの毎月恒例プレゼン大会があったのでそれに参加し、日付が変わるまでおしゃべりしてから帰ってきた。寝たのはたぶん3時ちょっと前。明日オランダに出発なので今は不安な気持ちがマックスの時期なので、夫にその気持ちを話す。夫は今日トークイベントがあるのでその準備と、出版予定の本の校正の締め切りのためにかなり忙しかったけれど、私のぼやきを聞いてくれてありがたかった。
今朝起きたのは9時半ごろ。私は朝がかなり苦手で、できればいつまでも寝ていたいし、実際いつまでも寝ていられる。スマホの光で目を痛めつけてなんとか起きようとする。(これが目に良くないのはわかっているけれど、ついやってしまう。将来失明しませんように・・・!)
小田嶋隆さんのコラムを読む。最近気になる記事はだいたい会員限定の有料記事で、お金を払うのを渋っているので結果ジャンクなものばかりを読んでいる気がする。小田嶋さんのコラムは無料だったけれど面白かった。そろそろちゃんとお金を払ってちゃんとしたものを読むという決断をしないと、頭がバカになってきている気がする。実際最近本を読んでいても自分の集中力が以前より低下しているのを感じる。動物的な勘は今結構鋭いような気がするけれど、無意識の領域が解放されすぎていて思考能力低下中だ。そろそろ脳に刺激を与えるときではないか?
起きる。このところ昔の映像作品のデータの書き出し直しをやっている。これから4K、8Kの時代になったときに自分の映像がどう見えるのか、なるべく綺麗な状態で残しておきたいと思って、今まではデータ量が大きすぎて敬遠していた圧縮率の低い方式で書き出し直しておこうと思ったのだ。古いパソコン、古いハードディスクなので書き出しにも時間がかかるので、起きたら朝一番に書き出しを始める。洗濯機を回してから、昨日の昼に作った野菜たっぷりうどんの残りのスープで雑炊を作って食べた。そして食器を洗ってから洗濯物を干す。
最近虫(もしくは謎の生物)が洗濯物に卵を産みつけるので困る。このあいだ私の黒いTシャツに12個入りのたまごパックのような具合で小さな球体が並んでいて、あまりに綺麗な球体が規則的に並んでいる様子に私は液体洗剤が洗濯中に化学変化して固体化したのかと思った。料理をしていた夫に、「ねえ、見て見て。これって何かな?」と聞いたら、夫は顔をしかめて「虫の卵だね」と言うので、私は「ぎゃあああ」と叫んでしまった。すでにまじまじと手で触っていたからだ。今日も物干し竿に干していたトイレマットにベトベトしたサナギのようなものが産みつけられていた。アパートの下の階に20年以上住んでいた家族が先日引っ越して、そのために立派な木が何本も生えていた庭もすっかり更地になってしまったので、毎年卵を産みにきていた蝶々やなんかが産卵場所を見つけられずにしかたなく洗濯物に産みつけていくのかもしれない。虫嫌いの私としては、非常に困る事態である。クローゼットを開けたら孵化した幼虫が出てくるという状況を想像してみると、びっくり屋さんの自分は冗談抜きに心臓発作を起こしかねないので、よく点検してから洗濯物を取り込まなくてはいけない。
さて、この日記を書き終わったら出発の準備をしなくては。今回は1年間の比較的長期の滞在である。スーツケース2個で行くので、昨日宅配業者さんに引き取りに来てもらって空港までの配送をお願いした。今日は家の掃除をしたり、手荷物をまとめたり、映像の書き出しを終えたり・・・とかそんな感じかな。大好きな近所の公園に散歩に行っておきたい。
またしばらく1人で慣れない土地で戦っていかなきゃいけないということを考えると憂鬱にもなるけれど、でも必要なプロセスだ。慣れない土地で知らない人に自分を紹介しなくちゃいけない状況に置かれると、自分が何者でもないちっぽけな存在であることを強く認識させられる。小学生のときに何度も転校していた自分を思い出す。「はじめまして、滋賀県から来ました」「はじめまして、横浜から来ました」「よろしくおねがいします!」明後日あたりには、「はじめまして、東京から来ました。映像などを作っています」などと自己紹介するんだろう。
「また引越しー?大変なのは私なんだよ」と私は転校することを聞かされるたびに母に恨み言を言っていたが、母は私に謝ったり可哀想がったりすることもなく、「大丈夫、なんとかなるって。明日は明日の風が吹く」などと軽く受け流していたような記憶がある。そのときはもうちょっとお母さんらしく子供をいたわってよ、と思っていたけれど、今となっては母の教育方針に感謝している。
地主麻衣子