芝生のある森的広場のよこをのぼる坂道で、今日の空気のことをNくんが台湾のもりの匂いと書いていたけど、と思って、まだどこも触ってない手だからいいでしょ、と思って一瞬マスクを外したら、湿った土と草むらと木の匂いが強くして、マスクって匂い遮断するんだなー!と思った。お料理してる時ヘッドフォンしてると意外と調子出ないっていうのは料理中意外と耳も使っているってことみたいに、歩いてる時にマスクしてるのもほんとは調子出ないことかもしれない、と思った。できないんじゃないけど調子出ない。
でも、久しぶりに外を歩いて、匂いはしないけど、家を壊すショベルカー、湿った地面に水をさらに巻く作業着の人、赤紫の木蓮の花の形、木の先っぽに葉っぱが生えてて内側がスカスカの様子、ベトナムの奥まったカフェみたいな雰囲気のマンションのエントランスの中の白い椅子、アパートの庭にある傾いた五重塔、トタン屋根の裏側の見える角度、チューリップの葉の水滴、以前見て絵に描いた事のある大きな落ち葉と同じ種類の落ち葉の違う様子、だとかを見て、見ながら、歩く事の喜びを感じた。ただ歩くだけだったら別に感染しない予感がする。空気みたいに、空気として、どこにも触れずに歩くだけだったら、別に外出してもいいのか!いいこときづいたぞと思った。
できごと、何があったかとかは結構後になってもいくらでも思い出せるけれど、気持ちはその時しかその形で書けないよな、日記、と、いつか1月の帰りのバスの中でバスについている3連のサイドミラーの映像を撮りながら何かを考えていたことは思い出せるんだけど何を考えていたのかは思い出せない、ってことについて思った。
オンゴーに到着して、どこをどう触って除菌してどのタイミングで手を洗ったらいいのか分からなくなって、準備中あちこち片付けながら何度も手を洗って、さすがに手がちょっとパサパサになった。
ここ3週間くらいランチに続けて来てくれていたカフェのお客さんがきてしまって、ごめんなさい今日からカフェないんです、と謝る。ざんねん。こんなに人いないんだから別にご飯出すくらいしてもいいような気もするけれど、でもこれでしばらくやっていくって決めたのだからこの決めた中でどうするかを、これから作っていくんだ。
Oさんと2メートル離れてすわって作業しながら、久しぶりにお話しした。俺志村世代だから という話を聞いて、私の悲しさは負けてるというか、悲しむ資格はないのかもしれない、でもメッチャ涙出る、人が死ぬということの悲しさをただ感じてんのかな?自分の気持ちを、うまく表明できない気持ちになった。なんか世がどんどん心配になってくる。本当にここ潰れちゃうかも。
できるだけのことを、工夫しないと。
作業中鼻の横痒くなって掻いちゃう。それではマスク意味なくね。基準と作法がむずかしい。
色々色々やることをやり続けて、ずるーっと夕方18時くらいになって、落ち着いた気がした。
20時、Sさん車ならばはるか送ってもらえば?と提案してくれて、送り出してくれるOさんがずいぶん優しい目をしていた。顔全体はわからない、マスクしてるから。
夕飯食べた後に煮豚を仕込んだのだけれど、愉快なカフェ業務ができなかった反動かなとお風呂で気づいた。ご飯を作るのは自分にとって、大概、楽しいものごとに属している。
楽しいことと楽しくないことってなんだ?
高木ブーが「決めた 志村は死なない」と言ったのを見て泣いた。
齋藤春佳