高橋です。元気です。今日も1日終わりました。布団のなかでケータイに日記書いてます。やっとです。忙しくて、書けなかった。
息子が産まれました。奥さん、産んでくれました。
私も頑張りました。七時間でした。横にいました。難産です。最後の踏ん張りどこで出てきませんでした。お腹切りました。産まれました。
弱っていたからNICUに入りました。赤ちゃん。
いくつか心配でした。いまは退院しました。ずっと会いたかった。
6歳になる娘がいま、わたしの横でいびきをかいている。奥さん、息子は向こうの部屋でこたつとクッションを使って寝ています。良かったです。このまま1日1日をこなしていきたいです。
高橋でした。おやすみなさい。
「Diorすきなの」
「ピュアポイズン」
と言って帰りがけにふりかけてくれた香水の匂いが手首からしている。
6時に目が覚めたけれど、なんとなく体がへんにだるくて、さむいのか?湯船を作って湯に入ってみて、そのあとまた少し眠った。
ナポリタンを作ったらめちゃめちゃ美味しそうになっちゃって「おいしそう」「めちゃめちゃおいしそうなものつくっちゃいました」と恐縮のようなきもちと共に発語。賄いだからという気持ち?人参とピーマンとキャベツとウインナー少しが入って目玉焼きの乗ったナポリタン、別に自分の冷蔵庫じゃないからなかなか難しいが年末に向けて冷蔵庫にあるものを一回さらにして、不安なところや足りないところをなくしてしまいたい、せっせと野菜を使っている。具に火を入れながら、少しバターを落として、胡椒を振って、ケチャップを少し焼き付けて、
フライパンのテフロンがナイフの先端でで100回突き刺しました、という先週は起こっていなかった表面の毛羽立ちを見せていて、一体何があったんだろうか、新しいものを買おうか、と不満な気持ちになる。あと、一番小さなナイフが一本ない。ステレオタイプな ”殺してそのあと証拠隠滅” の動きを連続ドラマ脳がフライパンとナイフに対して感じた。感じたのを違うよ、と思う。
「美味しかったです」と言われて「ありがとうございます」と返したのはなんかへんな感じがしてそのありがとうはやっぱ美味しそう過ぎる所の過ぎる余剰に関わっていそうだった、でもありがとうございますってのは別にへんじゃないなと思った、いつもなんて言ってるかっていうと「よかったです」だった、どっちにしろ食べ物が勝手に美味しくなっている、というきもちが根底にあって、そこに立って「よかったです」と比べると「ありがとうございます」は自分が美味しく作ったことを褒めてくれてありがとうございます、という感じにいま考えられるけどそうだったっけ?と思って、そうじゃなくて、たくさん野菜が冷蔵庫にあるの使わせてくれて「ありがとうございます」みたいな、美味しそう過ぎるものを作れた状況があるのはむしろおかげさまなんで、みたいなきもちなのだった、というのは「よかったです」もそう変わんないけど、よかったですのもう一つの根底には、誰にとっていつ何が美味しいのかは、はかれない、というきもちもある。
おがわさんにナイフのことを聞こうと思いながらカレーを作りながら、いろんなものが古いから、壊れちゃうだろうな、ふつう、と思う。ここはもう12年に差し掛かる。さつかさんとかひがしのさんとかのなかさんとか、展示を見にきて居合わせた人たちが小川さんとおはなししていて、なんかこういうのほんといいよな、と思っていた。
カレーもできて、お客さんが全員帰って、小川さんもいなくなって、ナイフのことを聞きそびれた、SNSの更新をしていたら大木さんがきて、ドイツパンの袋詰めをくれた。
焼いたプレッツェルをニコニコ食べながらお話ししながら、途中で日記の話になって、今日私なんだ、こりゃ大変だ、日記に書ききれないなと思った、昨日の出来事もまた別に日記に書かなきゃいけないっていう使命があった、大木さんが「いや日記は書こうと思えばいくらでも書けるけど、今書くかっていうと別だよね」と言っていて、そうか、いくらでも書けるか、と楽観的な気持ちになったけれど今書いてみるとなんも書ききれない。
注文されたコーヒーを淹れて、あれこれ片付けながら、さっき展示の写真が撮りきれなかったことを思い出して、
「大木さんって、アーカイブとかどうしているんですか」と聞くと
アーカイブってのを世の中簡単に捉えすぎている、取っておけるかとっておかないかだったらとっておいたほうがいいなんて小学生でもわかることなの、、、、
という話を聞きながら、飴屋さんの小説の、デスクトップ型パソコンを自転車のカゴに入れて持ち運ぶから壊れてその度にデータが消えて記憶も消える、という話も思い出していた。
夜、ふじかわさんに、なんのためにつくっているんだろうかとおもうよ、と聞かれた時の大木さんの語っている内容が指し示すことが、わかりすぎるほどわかって、わかることが嬉しいというか大木さんがそんな風に考えていることがうれしい、泣きそうになって泣かない方向に意識を持っていった。整体、という言葉を使っていた。自分は作るところでそれをやっているけれど、実行の点で弱々だ、大木さんのいろいろがその意識で実行されている、そう思うと尊敬の念が爆発した。
帰り支度をしていると、池田が
「あんたはるかをだいじにしなきゃだめだよ!」とバシバシ叩かれていた。今日よく叩かれてるのを見る。あとつつかれてもいた。
家で、サミットで買った半額の寿司の、いくらかねぎとろを「どっちがいい?」と聞かれて、「さっき私が選んだからどっちでもいいよ」と言うと、「選んでくれ、今日大木さんにはるかを大事にしなって言われたから」と言っていて「言っていたのはそういうことなのかな?」と笑いつつそしたらいくらを選んで箸で持ち上げる瞬間「ただ、このどっちかをえらぶとサーモンとマグロどっちを食べるかが必然的に決まることになる」
罠っぽい。
Ongoingで、今日の服の成り立ちを聞いた。
「これは何十年前の盗品」
「これはさいきん買った」
「これはもらった」
「これは最近もらった」
「これはアラタニウラノでのパフォーマンスの痕跡が残ってる」
「これとこれとこれが三重になって、イスラエルの色になってる」
「これは3日前モッシュしたら千切れちゃった、イスラエルで買った」
「Diorすきなの」
「ピュアポイズン」
と振りかけてくれた香水の匂いはもうシャワー浴びて一回眠って起きた今はしてない、最初書き始めながら、自分多分もう寝ちゃうんだろうなと思って実際寝た、起きて続きを書いていて、昨日のことを、日記では語り尽くせない、日記は語り尽くせないなと思う、かと言って私は話すともっと語り尽くせない、というか状況描写を言葉で行う時に事実がかたられているかというとそれは、事実を元にしたそのひとの語り口を聞いているだけなんだな、だから価値がないとかじゃなくて、むしろその頭の動きを含めた身体性の、表面を味わうこと、見事でも見事じゃなくてもすきだなって、思う、思うというか常ではなくて、思った出来事が今年は何回かあった。
齋藤春佳
スイトピーのいい香りがする。
この2ヶ月ぐらいバタバタと縁あっていろんな現場に行って、いろんな人と新たに出会って一緒に働いて、うちに帰ってきた。
岡山芸術交流でたくさんの人たちと仕事した。あべちゃんに会ったけど、忙しすぎてご飯も一緒に食べられなくて残念。でも岡山はご飯の美味しいお店がいっぱいあって、オリエント美術館はお気に入りだし、街の文化度が高いし、また行きたい。
美学校出身なので、開校50周年と聞いてクラウドファンディングに気持ち出資した。その返礼で遠藤一郎くんが神戸に来てミステリーバスツアーをしてくれた。まさに未知との遭遇だった。
OngoingSchool@渋谷ヒカリエで小川さんと山本高之さんのトークはやってよかった。アーティストがやるスクールの方向性が改めて明るくなった。次回のスクールもたのしみ、みんなのフォローとして自分のできることを精一杯に頑張ろうと思う。私にはOngoingSchool自体がラーニングなのかも知れない。
札幌文化交流プラザの図書館とカフェがお洒落だった。ペンキ塗りで全身筋肉痛でさらに最後おなかを壊した。豊平峡の温泉に行く途中で雨がザッ−と降ってサッと晴れて山に虹がかかった。温泉に浸かってホッとしたけど、インドカレーは食べられなかった。天神山の紅葉が半端なくきれいだった。大木さんが春に展示すると言っていた。
三鷹TERATOTERAまつりで久しぶりに瑞世ちゃんと仕事して、変わらずなテンポがいい感じだった。テラッコのみんなと毎晩飲んでたのしかった。
神戸に戻って森村泰昌さんの初公演はさすがだった。
いろんな場面があって、いろんなタイプの人がいて、いろんな現場に行ってるからこそ気づくこともあって、私にはよかったと思う。
いろいろあったけど青木真莉子さんの展示会場に行ったとき、そうこの感じだったなぁと、なんだか身体と心の感覚が一気に呼び覚まされた気がした。
今日の帰りに花屋さんによってどれにしようかなぁと見回してスイトピーを買って帰った。
大学の授業でスイトピーを育てていた頃を思い出した。
その頃にはなかったような、紫とピンクの楊貴妃のようなグラデーションの絶妙な色合いに見とれながら、私の好んで帰る場所はどこまでもスタート地点だなと思った。
たこ
スウェーデン、ヨーテボリにあるレジデンス施設Konstepideminの滞在が始まって10日ほどが経ちました。まだ何もやっていないけどレジデンス内外の(ここには130人!の作家のスタジオがある)作家さんと交流することで、なんとなく9ヶ月間の滞在の目標が見えてきました。ぼんやりと。
日々発見があり、誰かに共有したいと思いつつも、Facebookなどでいちいち世界の皆さんのお目を汚すのは忍びないので、この日記に記録しようと思います。
スウェーデンという国は私の実家、伊佐治家に非常に人気が高く、母親から「毎日写真を送るように」と指令を受けるほどです。60%くらいの確率でその注文をこなしています。先日「もう慣れた?」とのメッセージに「慣れた」と答えた後に、何に慣れたかを自問してみた。
慣れたこと:
・スーパー「Hemkop(ヘムショップ)」を使いこなしている。
・いいホームセンターを見つけた。
・数件の美術館とかギャラリーに行った。
・トラムを乗りこなしている。
慣れていないこと:
・牛乳だと思って買ったものが飲むヨーグルトだった。追加で慎重に選んで買ったが、やはり飲むヨーグルトだった。
・簡単なスウェーデン語を覚えて店員さんなどとクールに挨拶したいが、皆英語が上手い。
・気づくと米を欲している。
それなりに上手くやっているつもりだが、急激な生活環境の変化で自分がかなり軟弱になっていることに気づく。店員さんが笑顔で対応してくれないと傷つくのだ。スウェーデンの店員さんの98%は親切で感じがいい。それに合わせてこちらもヨーロッパ風の笑顔を見せるのだが、普段使わない顔筋が酷使され顔が少し疲れている。
そうだ。今週はプールかサウナにでも行こうかな。
イサジ
今回の日記は日付を完全に勘違いしていて、3日ばかり過ぎていた…。
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昨日夕食を食べながら、漬け物程度で冠せものをしていた奥歯の残っていた土台の歯の方が少しかけた。もうすぐカンボジアへ行くのに、その前に治さないと、旅先で完全崩壊するのは恐ろし過ぎるし、まだ40歳にもならないのに、この歳でもうかけてしまうのは、この先大いにショックだし、不安だ。
午後、奥歯の冠せものは無事修復された。ひとまずの安心。でも補強に過ぎないので、次かけるのが半年以内ということもありえると言われる…。
歯医者に出入りしているグレージュ系の珍しい毛色の野良猫おトラトラに『世界ネコ歩き』の岩合光昭さんのように「おトラトラはかわいいね」と言って、初めてやさしい顔で「ミャッ」と応えてもらい、とても気分が晴れる。
帰って仕事の続きをして、渋谷のル・シネマで上映中のアッシュ・メイフェア監督のベトナム映画『第三夫人と髪飾り』へ。タイトルから気になっていたことと、今月下旬の東京フィルメックス会期中に開催されるピッチングのワークショップ、Talents Tokyo 2019に新しい企画で参加されることもあり、その予習としても観た。監督自身の曽祖母の体験を題材にした19世紀のベトナムの農村を舞台とした本作が長編デビュー作!ですでに映像による語りの豊かな表現力を魅せていて非常に圧倒される。一夫多妻制で共に暮らす妻たちの意外な関係性であったり、男性であっても人生思いのままという訳にはいかない辛苦に、人の生き様を知り、その上で自分との闘いを知る若い第三夫人の感情のダイナミズムが直球で響いてくる。
帰宅して、ゲンロンの「東浩紀がいま考えていること・番外編――『大量生と虚構の問題』再プレゼン」のタイムシフト放送の残りの30分を観終わった頃、mac bookからおかしな音が聴こえ始め、再起動をかけても、画面が白くはてなマークのフォルダーアイコンしか出なくなってしまった。ハードディスクが認識できなくなったらしい…。2012年購入だからかなり無理をしていたのはわかっていたし、タイムマシンしなきゃ、しなきゃと思いながら直近ではバックアップができていなくて、自分の行動が悔やまれ、いろいろ悲しい…。でも、人生が新しいステージに動く時にPCはほぼ壊れてきたので、明日の大学院の合格発表もよい結果なのかもしれない。とりあえず、明日は勇気をもって合格発表とデータの救出だ。
本間順子
まわってきました4回目の日記の日。今日は日記に書けるようなイベントがあったので書いてみるく!
そのイベントとは、5歳の姪っ子が通っている保育園の運動会。いやー、、、なんつーか、「かわええ」しかでてこんかったなあ。もうbot。かわええbot。姪っ子はもちろんのこと、他の子たちも一生懸命テコテコテコテコ走ってる姿見たら語彙を失ってしまった。かわええ。まあそんな中ですねー、ちょっと気になったことがあったんです。それは姪っ子よりもちょっとお兄さんお姉さんのクラスである月組のだしものについて。月組のプログラムは借り物競争で、箱の中から紙をひくとそこには「オムライスが好きなお父さん」「プリンが好きなお母さん」とかが書いてあるんです。そしたら〇〇〇が好きなお父さん/お母さんを探してゴールまで一緒にいくというルール。まあ全部、〇〇〇が好きなお父さん/お母さんって書いてあって〇〇〇にはいる食べ物のバリエーション差分があるんですよね。で、オムライス、プリンの他にラーメン、ハンバーグ、パフェ、とかなんですが。
そこに『キムチ』がはいってたんです。。。
あいや待たれ〜い!!!!!
いやキムチは美味しいよ、キムチかきゅうりのQちゃんのどっちか選べって言われたら結構苦しむよ。それくらい魅力たっぷりよ。だけどさあ、さすがに?
オムライス、プリン、ラーメン、ハンバーグのメンバーにキムチはいるかねー。
例えばオールブラックス(ラグビーのニュージーランド代表)に僕が入ってたらおかしいでしょ。逆に申し訳ない気持ちになるもん。一発タックルくらったら全ての骨折れてもおかしくないのに、メンバー入っちゃってごめんなさい、、ってなるよ。たぶんキムチだってそう思ってるよ、あーなんでオレなのかなあ、そこは焼肉さんでよくないすか。絶対焼肉さん怒ってるもん。さっき、全然気にすんなよ、たまにはベンチあっためるのも悪くねーとか言ってたけど絶対強がりだもん、顔怒ってたもん。ってなるもん。
、、、まあでもさ、多様性大事だしさ、なによりキムチが好きなお母さん探してる月組の男の子がさ、やっぱちょっとキムチ好きなお母さんは見つかりづらくて、でも一生懸命テコテコテコテコ走ってる姿見たらさ、思ったよね。かわええ。
江藤
私の日ではないのですが、前回投稿していなかったのと、何か書きたいなと思ったので投稿を。
私は5年前からヨーロッパに住んでいて、最初はこんなに鬱だとは。と衝撃を受けましたが今はロンドンでボート生活しております。ボートはいいですよ。そんなのができるいい街です本当。
と、この前姉と待ち合わせをしてニューヨークに行ってきました。7年ぶりくらい。昔はもっと公共のWi-Fiがあったし無料のものも多かった。少しケチになってきてるなアという印象。
そして姉のたっての希望であるケープコッドというマサチューセッツ、ボストンの近くにある、釣りのフックのような形をした半島に車で行きました。6時間くらいかかった、、相方サム氏が全行程運転してくれましたが。私は今免許切り替え、練習中。
そのケープコッドへのドライブとその土地が私が予想していたよりも遥かに印象に残ったのです。
ヨーロッパにいるとアメリカってのは銃はあるし、社会保障もないしトランプだし、グーグル、フェイスブック、スタバ、マクドナルド等とんでもない国だ。みたいになっているのでどうもその影響からアメリカ=怖いになっていて。若干ドキドキしながら入国したんだけど、入国審査官がもう超フレンドリーでオープン!笑いながら入国でき感動。
その後もあまりのニューヨーカーのフレンドリーさに居心地の良さを感じ、、、。
ケープコッドは中流階級に人気のビーチというからきっと保守的な白人だらけで私なんかは差別されるのだろうと思ってましたが(予想がもう荒んでいる)、なんとケープコッドは昔からヒッピーが移り住んでたらしく、大LGBTコミュニティでした。つまり保守的ではないってことね。
とまぁ社会の云々はあれで、何より感動したのは天気と光です。なんだこの涙が出そうなほどに美しい光と影は!!
なんて美しい湖と森なんだ!
道が広い!
なんか人が超おおらか!
と、こんくらい字面がシンプルになってもいい程のシンプルな感情になる。自然がですね、そうさせる。
アメリカの素敵な自然のある、家で四季を見てみたい!
日本含め歴史の長い国にありがちな神経質でこだわりがあって実は外国人がすごい苦手でちょっとウジウジしてしまう、あれ。
旅行で行くほうがヨーロッパは気を使いますよ。
全然リラックスできないよ。
ヨーロッパの移民が故郷に似せて作った町並みや風景はこちらとしても既視感があり、なんかノスタルジックな気持ちになる。ヨーロッパからくらーい天気と伝統(間違えると現地の人がパニクる)を抜いて、なんというか、
羨ましいよ、そんなにカラッと考えられるなんて、、って思わされる。
社会に問題がないとか言ってるわけではない。南部の内陸の方とかは怖そうだし。
地名もイギリスにある地名がまんま使われており、サムの育った小さい村の道の名前が工業地帯に使われてたり。
なんでしょう上手く伝えられないんですが、ヨーロッパと日本にはないあの、豪快さ。すごいすっきりしたんです。
何でもカリフォルニアなんてところなんてもっとすごいらしいじゃないですか、、、ちょっと行ってみたい!
イギリス人のオジサマにニューヨーカーとかアメリカ人ってフレンドリーなんですねぇと言ったら。
アメリカ人は子供みたいなもんだからね。
とやはり微妙に、ディスられてしまうアメリカ人達。
イギリス人は自分より弱い人をディスらないけれど強い人に対してはメタくそ言う。
田中です。
デスクワークなバイトをずっとしています。パソコンをいじるのでついでにツイッターやら適当な記事も読んだりします。最近はもっぱらあいトリのニュースでげんなりしています。アーティスト達は連帯責任的にみな一様にげんなりしているような気がします。最近はチンポムにまで炎上が飛び火しましたね。ちょうど同じ日にスピッツが新作アルバムを出してたのでツイッタートレンド1位をチンポムとスピッツが競争してましたね。スピッツの新作は楽しく聴きました。
そんなこんなでジャスミンティーには性欲を増幅させる効果があるらしいというネットの記事を見つけました。ジャスミンの葉に含まれるなんかの物質の効果により、男女関係なくめちゃくちゃムラムラするらしいです。他の記事を読むとジャスミンティーでは性欲は増幅しない、科学的根拠が一切ないと書いてあって、実際どっちなんだろうと、とても気になって、最近ジャスミンティーばっかり飲んでいます。今も飲んでいます。
1日に最低1リットル。コンビニに売ってる紙パックのジャスミンティーを飲んでいますが一向に効果を実感しません。もしかしたら、パックのジャスミンティーは工場で作られる過程で、ジャスミンのそのムラムラする成分が死んでしまうので、ムラムラしないのではないだろうかと考え、葉を買って自分でお茶を淹れてみることにしました。
結論から言うと、美味しかったけど性欲の高まりを感じることはできませんでした。
追記
友達のおじいちゃんがお茶農家で、とれたての茶葉でそのままお茶を淹れるとガン決まりになれるそうです。レッドブルなんかより、新茶が一番やばいそうです。お茶こそ日本古来のナチュラルドラッグなのかもしれません。
気になったので新茶の季節に分けてもらおうと思います。
めちゃめちゃ夢見たなと思いながら起きる。コンストンスのパフォーマンス参加してから数日、毎日めちゃめちゃ夢見る。あの時、頭の中で空間移動したり見たり動いていた時にピピピと繋がった脳みその部分が、夢見筋肉として動作している。
掃除、絵、練習、洗い物、絵、体動かす、絵、筆洗い。身支度。みたいなかんじ、家の中で絵の周りをうろうろうろうろする午前中だった。
歩きながら、2日前修理に出した自転車屋さんの横を通ると、受け付けてくれた店員さんが遠くにいて、ちょっと「あ」という顔をしたきがした。1時間後くらいにタイヤ入荷して直しました、4500円です、という留守電が入っていて、やっぱ、「あ(あれやっとかなきゃ)」もしくは「あ(電話しなきゃ)」的な顔だったと推測。ただの顔かもしれないけど。
一万円くらい払わなきゃいけなくて泣くかもしれないと思っていたから4500円にダメージを受けなかった。今書いたら見た目でちょっとダメージ受けてる。
最近ほんとにお金ないな〜と思っている。多分あんまバイトしてないからと部屋の更新とかが原因で、でもそれでどっかでバイト増やしたいかというと、ヤダ。
わがまま〜
でも、お金があればな〜というか、お金がなくて場所がないから大きい絵描いてないきがして、それが理由なんだとしたら無理矢理にでも大きいの描いた方がいいよ!と自分の中の先生風の人が言ってほんとそうだけど、今年めちゃめちゃいっぱい小さい木枠もらったから、小さい絵期としてやっていこう、、、とも思いなおして、暮らしている。
消費税10%とか悪い夢みたい。
百姓一揆おこしたの、多分昔でいう今の自分。
バイト。
最終的にデータ整理がひと段落したけど、最高の状況ではない。夕方すぎくらいに終わっておそとに遊びいこ、くらいに思っていたけど全然終わらなくって自分の遅さが残念だった。
Fesの宣伝に引っ張ってこようか、と思って去年と一昨年のfesデータを見たら、なんか、自分、オンゴーイングにいるの長〜〜〜と思った。もうすぐ4年たつかも。ぞっともするし嬉しくもあるけどだからどうと一口に言える感想がない。大学卒業できちゃうけど、そしたらなんか、そのぶん私成長できただろうか、としみじみ思ってしまう。
キセちゃんと、マイクロポップの図録見ながら「いい時代だったんだなって思います、今はなんか、くらいっていうか、どろどろっていうか、、、」と言っていて「そうかも」と思っていったけど、ほんとうのほんとうは、今の時代が一番いいよ、だよきっと、いろんなことが、明るみに出てきただけで、本当の本当には、今の時代が一番いいんだよ、と思う。
帰りがずいぶん遅くなったけどいつもよりは早くて3000円しか握りしめてないかららーめんでもいくかって9時半に閉まるからいつも平日バイト時は私はいけない中華料理屋で、どっちもけして譲らないまでもいかないけれど、どう考えても一番食べたいのがこれだってのが最早ふたりともそうだからわかって「もう同じでいいか」味噌ラーメンを2つ頼む。あつあつでめちゃめちゃおいしくって「おいしい」しか言葉としては頭に浮かばない、味噌ラーメンのイデアみたいなラーメンだった。あとどんぶりと具と麺に対してのスープの盛りが多いからスープの直径が知ってるラーメンより広いのもなんか、いい。溢れ出しそう。あと表面が油でキラキラ光ってる。
食べながらまた食べたい、次はこの200gの麺を食べてお腹いっぱいの向こう側へ行きたい、と言いながら食べ終わる頃には普通の麺でもすでに向こう側に来ていた。
ポケモン捕まえながら帰宅。
投げるのへたすぎてモンスターボールがなくなる。
ポケモンと会っても見るだけ。
帰ってきてくるりの「宿はなし」を、どうだっけ、とギター弾いていたので、「こうだよ〜」と最近重音の練習のために弾いてるから得意げにばいおりん弾きだしたら合わせてくれて、そしたら練習時と比べていまいち上手く弾けなくて、
「とにかく早いわ」
「これですら早いわ」
と池田のテンポの速さのせいに弾けなさをして、されてかわいそうだった。
前日、同じ場所で、
かぼちゃグラタンとひじきとレタスと、鶏とピーマンの揚げ焼いて黒酢とかのやつにひたした名前のないやつたべながら
「やっぱ今日改めてくるりがいちばんすごいって思った。やるならくるり目指したい。」
といってちょっと考えて、
「というか、自分が子供の時すごい真剣に聞いていたから、聞くと、こころが、ちゃんと音の形に沿ってこころが動くのかもしれない」
と言ったら、
「なんかめちゃめちゃいいこと言ったかんじするんだけど笑」
といわれて、
「うん…なんか…ほんと…」とか言いながら、確かに私も喋りながら「書くみたいに(?)喋ってる(?!)もしくは喋れている(?!)な」と思っていたなと思っていたから否定しないけど恥ずかしいのもあり言わなくてもいいってのもあるのかもしれなかったけどなんかそれ以上そのことについて上手く言えなかった。
最近日記を書いていないから、前日の日記で書きたかったことが混じってきてしまった。
9月メッチャ嬉しすぎて今までの人生に感謝最高みたいな日の次の日に文化庁のイミワカンネー発表があって、「メッチャ嬉しいってことをメッチャ嬉しいって気持ちでかけないからもうその時の日記書けないんだからやっぱその時しか書けないことってあるんだな〜10月からは毎日ちょっとだけでもいいから日記書こう」と思ったけどこれ10月最初の日記で、さっきお昼食べながら「あれ?!」と思って見たらきのうが自分の日記の日、今朝はスキー場にこれから行く夢を見ていた。
齋藤春佳
今はもう21日だけど、19日の日記を書く(ごめんなさい)。
今、ひたすら文献を読んでいる。
前回の日記で読んでいた長谷川町蔵・大和田俊之著『文化系のためのヒップホップ入門』で知った、
ヘンリー・ルイス・ゲイツ・ジュニア著 松本昇・清水菜穂監訳『シグニファイイング・モンキー -もの騙る猿る/アフロ・アメリカン文学批評理論』は、一読では難しすぎて理解しきれなかった。ここからさらに引用されている文献も読んでいけば、少しは理解が広がるのか?
でも、理解できない部分はちょっと脇に置いておいても、次の箇所にちょっとでも触れてしまっただけで、すごくハッとさせられて、これまで無自覚だったかもしれない文学の読み方が変わってくるのかな?と期待している。ただ、自由間接話法と直接話法、語り手の声と主人公の声、標準英語と黒人の方言、これはもう実際にこの作品を読んでみて体験してみるしかないなあ。
「自由間接話法をアフロ・アメリカンの語りに導入したのは、ハーストンであった。私が証明したいと思っていることがだが、ハーストンが、主人公の自意識における成長を自由間接話法を用いて描きつつ、アフロ・アメリカンの修辞上の戯れのさまざまな伝統的な様式を表現できるようになったのは、この革新によるのである。興味深いことに、ハーストンの語りの戦略は、テクストのふたつの極と、一見相反する語りの様式とを混ぜ合わせることに依拠している。相反する様式とは、少なくとも標準英語の語法によって始まる語り手による解説と、引用符や黒人の言葉づかいによって常に前景化される、登場人物の会話である。しかし、主人公の自意識が目覚めると、テクストは、彼女の成長を表象するために自由間接話法を用いるばかりでなく、語り手による解説の声が、黒人の登場人物たちの言葉づかいを帯びるようになる。そのため、いくつかの節においては、語り手の声と主人公の声を識別することが非常に困難になってしまう。別の言い方をすれば、ハーストンの言う非常に「装飾的な」自由間接話法を使うことでーそれは、語り手による解説と直接話法のあいだにある、第三の、あるいは仲介する言語と考えられるものだがー『彼らの目は神を見ていた』は、標準英語と黒人の方言、つまり小説の冒頭で言語上の対比的要素として機能しているふたつの声のあいだに存在する緊張を、解きほぐすのである。」
p.286 「第5章 ゾラ・ニール・ハーストンとスピーカリー・テクスト」