散らかしのメソッド
2019年7月12日

綺麗な部屋を散らかすためには、紙、もしくは衣類を置けるところに置いていくことだ。ゴミは見つけ次第そのままにすることを心がけなさい。手に取ったらゴミ箱へ入れなくちゃいけなくなるのだから。

大切なものは大切ではない紙の上に、どうでもいいものを中途半端に開いて、できるだけ無駄なスペースを作るように絶妙な角度で机の半分を割いて積み重ねなさい。少しずつもう半分も侵食すること。脚となるゴミ、天板となるゴミ。ものはゴミを経て素材となり、第二の役割が与えられる。テーブルの完成である。なお、足も天板もA4コピー用紙だ。とにかく紙を置くことです。届いた手紙やチラシ。領収書の類。

今日買った本も例に漏れず紙であるため、積み重ね対象だ。ただ、ゴミとは別でどこにでも置いていいというわけではない。まず数ページ読んで、先週買った本の上に置く。それが所作というものだ。その下には先々週の本。先月の本。本本本本。タイトルが目に入ることが大事なのだ。面白い本が手元にあることで勇気が湧いてくる。本を持つ喜びとは、読む可能性を持っていることだ。本を読むことと本を持つことは同じことではない。
大きい本は、反らないようにハードカバーの本の積み重なりの高さを揃えてその上に置くことを心がけなさい。
お気付きか。この部屋で、本の栞に困ることはないことに。そこへ転がっているインドカレー屋の割引券を半分に折って挟むといい。私はよくそれをする。
あの白い紙の下に何があるんだろう、と思ってめくっても、水道料金のお知らせとインドカレー屋のB6のチラシしかないのだから心配はいらない。倒れないように注意して、コップを置いてみるといい。紙束が机を水滴から守ってくれる。

この部屋を片付けるよりも引越しをする方が楽なのではないか。そう思うことも少なくない。ただゴミを捨てればいいのはわかるのだけど。それにゴミは意外とそんなにないこともわかってる。友達から「エクストリーム」と評されたこともある私たちの作業部屋。
9月には大きな荷物と作品がこの部屋に運び込まれる。展示が3つ始まっているだろう。火を放ちたい。
緑色の顔をしたジム・キャリーがやってきて、でっかいハンマーでぶっ壊してくれないだろか。

生活と芸術は不可分だけれど事務と美術は分けるべきだ。やることだけが増えて行く。本当にやるべきことが後回しになっている。これなんのためなのよ、複雑で混迷を極めたメールのやり取り!!!!!!ファック!
人に言われても思考が重たくて返事に2時間くらいかかる。しゃべる言葉ややらなきゃいけないことの優先順位が頭の中で渋滞し詰まってから、2億光年が経とうとしている。まじもー無理!!!!!!私が二倍になることでしか解決できないのがもどかしい。

私は「する」時間に重きを置きすぎて、準備や片付けを軽んじすぎている。熟考することでなく、安定でなく、混沌とした慌ただしさの中に身を置いている。反応ばかりをしていてゆっくり考えられていない。

パフォーマンスの記録はどうしたらうまくいくんだろう。私の作品記録はきっと世界最低レベルだと思う。
厳密さの方向性とドキュメンテーションの方法が噛み合っていないのだろう。
自分にできないことは人に任せればいいのだけど、その準備をする頃にはもうその作品への熱は記録とは別のところに向いていて、撮影する用の作品に作り直してしまう。
どのように記録すればいいわけ・・・みんなどうしてる?
あと、部屋は片付けたほうがいいですかね。
(Yahoo!クソ袋)

うらあやか

7月9日
2019年7月9日

なんか畑のズッキーニ小さいな、腐るな、と思っていたら、ズッキーニは受粉をしてやらないと腐る、朝7時前後にやるのが良い、というレクチャーを受けた。明日は休みだから、受粉して二度寝したらいいぞ、と思って目覚ましを6時半にセットしていたアラームで目覚めたけど、雨降ってる音したからしょうがない、ということにして寝続ける。
12時の船で高松に買い出し。いつもは宇野に行くけど、今日は髪の毛切ろうと美容室予約していたから高松。晴れてて、気持ちよくて、後ろのデッキの席に座った。じゃん!と飛沫が飛んできて楽しい。豊島のおっちゃん達がままかり釣りしていた。

高松着いて、美容室行く前に南珈琲に行ってお豆の代金払っていこうとずんずん商店街を歩く。なんかざわざわしてるな、警備員とかいるな、と思っていたら、選挙活動してた。香川の自民党立候補者と、安倍首相がいて、それを認識して安倍首相の顔を見た時、すごい拒否反応が出た。やだやだやだって動機がして、人混みの間をすごい勢いですり抜けて、ぶわあああって言いながら指先から水を振り払うみたいに手をぶるぶるってしていて、自分で自分に驚いた。ただ歩いて手を振っている姿を見て、こんな風になるんだ。よっぽど嫌いなんだな、全く知らない人(わたし)にこんなに嫌われるなんて、安倍さんも大変だ、と冷静に思う。
超急ぎ足で南珈琲に向かって、アイスコーヒー飲みながらリセットを図る。でもこの気持ちはちゃんと記しておいた方がいいと勢いのあるままにツイート。
豊島に住んでいるけど住民票はまだ長野にあって、不在者投票の申請を昨日した。そして豊島では期日前投票ができなくて、隣の小豆島に行かないと行けない。でもやる。嫌なことは嫌だと言わないといけない。我慢しちゃいけない。大丈夫かな、と高を括ってはいけない。
良いこと楽しいこと嬉しいことばっかりしたい。綺麗なもの美しいものばっかり見たい。美味しいものばっかり食べたい。毎日ご機嫌に朗らかに健やかに暮らしたい。大好きな人達とそれを共有したい。

美容室はホットペッパーのいちばん上に出てきたところを予約してて、初めてのところだったけど悪くなかった。色白で細身のおしゃれなお兄さんが切ってくれた。がっつり切りたいと言ったけど、これくらいがバランスいいと思います、と顎くらいのショートボブ。やはりこの長さがわたしのベストなのかな。たまにしか行かないが、美容室はいい。心強くなる。料理作る仕事ってかなり最高と思ってるけど、美容師さんもかなり良い仕事だなあ。
半空というカフェがいいよ、とおすすめされていて、行ってみる。バーみたいな雰囲気。珈琲美味しかった。本がたくさんあって、「壇流クッキング入門日記」を読む。内容は興味深く面白いのだけど、文体がだらっとしているというか、一編が長いからか、たるんでしまってすいすい読めないのが残念。
最近本読みたい気分で、古本屋さん行ったけど休みで、その近くの古着屋に行く。高松に来ると寄ってしまう古着屋。すごい癖あるのお姉さんがやっている。カラフルチェックのショートパンツ可愛くて、これおしり入るかな〜ぎりぎりかな〜と試着したみたらぴったりで、お姉さんに脚真っ直ぐ!出さないと!おしりもぷりっとしてるからいけるで!とほだされて買っちゃった。
服を買うと、隣の中居ストアーという商店のおばちゃんが作っているゼリーの引換券をくれる。黒胡麻ゼリーにした。中に小さな大福が入ってる。トマトがひと玉37円で2玉買った。
果物屋で桃。スーパーで買い出し。高松駅では工藤元気が演説していた。お仕事頑張ってください、行ってらっしゃい、と言っていたけどもう17時半だよ。
駅ビルの立ち食い寿司屋で持ち帰りの太巻きを買う。
帰りの船は顔見知りばかりで、船内がすでに豊島。美容室でつけられたオイルの匂いに酔う。
荷物置いて、巻き寿司食べて、注文していた卵取りに行って、買ってきた食材を下味つけたり冷凍したりする。明日のパンの粉計量して帰宅。同居人が、昨日の夜ムカデと大蜘蛛と闘った話を聞く。お風呂入る。今日の料理見る。ムラヨシマサユキとなかしましほ。シフォンケーキ作ろうかな。
ぴゃーっと携帯みてて、コレクティブ日記みたら柴田さんが更新していた。ということはそろそろわたしでは、と思ってリストを確認してみたら今日でした。それで書く。テレビつけっぱなしにしてて、こじらせ女子、紫式部に学ぶ、みたいなテレビでたんぽぽの川村さんが、恋愛の掟が3つある、出歩け、待て、しゃべるな、と言っていた。待てというのは、ラインとか既読になっても返信来ないのに焦ってまた送ったりしないこと、しゃべるな、というのは大事にしたい恋ほど、周りに相談しちゃったりしないで自分の中で大事にすること、と言ってた。そうですよね!わたし最近それを学んで実践しています!と思った。
幸せになりたいし、好きな人と過ごしたい。だから平和で安心できる未来を想像できる今にしたい。そんな日。

高木花文

かんぬいきてー

こんにちワッツアップ!
6月1日から国際交流基金のアジアフェローでASEAN各国を回っていて、7月9日の朝、バンコクで今これを書いています。普段の日常とは違った環境で、何かが起こり続ける日々を整理する余裕もなく、只々忙しい日々を楽しんでいます。そうです。めちゃくちゃめちゃ飲んでまス!

それでは7月7日、土曜日の思い出し日記。
今取り組んでるプロジェクトのために、ファウンドビデオ(誰が、いつ撮ったか定かでないビデオデープ)を探しに朝から泥棒市場に向かう。午前8時ぐらいからやってるらしく、朝しか出店してない道端の店を重点的にガラクタの山をDigるが結果はいまひとつ。道端でいろんな種類の肉やさかなのすり身が入っているめちゃうまなフォーを朝食に。この日は昼からカンヌ映画祭にも昨年出ているMoving Image ArtistのChulayannon Siripholにインタビューすることになっていて、彼が所属するぎゃらりーBANGKOK CITYCITY GALLERYに向かう。2時間ほどじっくり話を聞いたけれど、Chulayannonまじでやばい。彼が高校時代にHi-8のビデオカメラで撮ったドキュメンタリーでさえもすでにかなりのクオリティーで、圧倒されてしまった。穏やかな物腰とは裏腹に説得力のある強度の強い言葉の数々からは、作品の背景にある鋭く深い考察過程を感じることができる。ヘルメットを被った僧侶の作品を始め、彼の作品はどれもとてもユニークで的確な表現が魅力的だ。テーマに政治と身体を掲げている点もかなり興味深かった。カンヌ映画祭についてChulayannonは商業的にも芸術的な意味でも、いろんなチャンスや夢が渦巻いていると言っていた。東京芸大のc-projectの作品でもカンヌは一番最初に新しい才能を見つけるとかなんだとか言っていた。あ〜めちゃカンヌ挑戦したい!
前の夜も遅くまで泥棒市場でファウンドビデオをDigっていたので、一旦レジデンス先のTentaclesに戻って仮眠、のつもりが起きたら19時過ぎ。最近よく食べに行くソムタムが美味しい店に晩ごはんを食べに行く。ソムタムと一緒にグリルした豚肉をハーブで包んでタレにつけて食べるやつも注文。Leoビールが進む進む。その後、同時期にTentaclesにレジデンス中のHuang Ding Yun(台湾)と Ge Yulu(北京)と一緒にドラッグクイーンのショーをクラブに向かう。ショーもかなり面白いし、彼女たちがとにかくパワフル。自らのストレートでない性を思う存分謳歌して、素敵に表現出来てる事になんだか羨ましく感じる。クラブを後にし、みんなでお酒を飲みながら生牡蠣とかモツ焼きとか、空芯菜炒めとか食べる。バカうまい!レディーボーイの店員がウインクをしながらみんなにビールを注いでくれる。話題の中心は台湾と中国と日本の関係や中国の厳しい検閲のことに始まり、セクシャリティーについて、最後にはいままでで一番ヤバい瞬間について告白し合う。話には「やば!」「やばくない?」などの日本語でリアクションする決まり。4時過ぎにレジデンスに帰るもまだまだ飲み続ける。みんなぐでんぐでんに酔っ払って朝の8時過ぎ、流石に眠くなって就寝。アディオス!



柴田祐輔

7月5日の現場
2019年7月5日

中野区若宮1丁目アパート
玄関ドア ダイノックシート貼り

ノスタル爺
2019年7月4日

扇風機のリズム風の優しい音で目がさめると右と左に天使が寝ていた。昨日の晩、愛娘たちがレジデンスに泊まりに来ていたのだっけ。髪の毛をやるから6時半に起こしてと、すっかりオシャレさんのおねーちゃんの言葉を思い出し、「時間だよ」と起こすと、あと5分といってスヤスヤとまた寝てしまった。お腹をペロリと出してまだまだ深い眠りの底にいる妹も。朝ごはんを作らないとリビングに降り冷蔵庫の中を見れば、Ongoingの屋上で取れたピーマンとナスが。ナスは薄切りにして水に浸し、ピーマンは千切りに。フライパンに油を敷いてナスとピーマンを炒め、そこにみりんと水で溶いた味噌を絡めて完成。母親が昔よく作ってくれた料理を、今は娘たちに作っている。「もういい加減起きなさい」と二人を起こすと、小さな妹は眠そうに朝ごはんを食べはじめ、おねーちゃんは長くなった髪をシャワーで濡らし几帳面に櫛をとおす。1時間以上も早く起きたのに、結局朝ごはんに時間がかかってしまい、ギリギリにレジデンスを出て車で学校へと送る。「また夕方にね」と、手と手でハイタッチ。失われた日常を追体験。
帰ってから善福寺公園へジョギング。毎回30分、週二で走ることにしている。英語の勉強も兼ねてBBCのインターネットラジオをききながら池の周りを走るのだけど、水を見ているといろいろな記憶が蘇ってきて、ニュースの中身が全く入ってこない。まあ英語だし、BGMみたいなものだね。
汗だくになりながら携帯をみれば「水道屋さんがきていますよ」とメッセージ。オーストリアのウィーンに留学しているタダちゃんが数日間レジデンスに泊まりにきていて、水道の修理の対応をしてくれたみたい。すぐにシャワーを浴びたかったのだけど、断水し工事をするそうで、リビングでしばしタダちゃんとおしゃべり。「日本マジでやばくないですか?」と2年間の不在の間に変わった日本の負のイメージを止まることなく話してくれる。こちらは止まることのない汗にまみれながらストレッチを続けタダちゃんの話を聞く。ふむふむ、そうだよね、ほんと。
やっとこさ工事が終わりシャワーを浴びる。前回の日記も偶然そうだったけれど、今日は大学で講義で、しかも最後の授業の日。タダちゃんと話をしていたせいか、彼女が仕切って作ってくれたピンクのOngoing CollectiveのTシャツを着ていざ出発。大学について、今日も一人で食事を済まし、授業へと。「今日で最後だねー」と生徒に話すと「えー、悲しすぎます」「この授業が一番楽しみだったのに」と泣けるコメント。僕もいろいろ話が聞けて楽しかったですよ。授業が終わるころOngoingで今度打ち上げをしたいとなり、もちろんいいよと答えるが、学生たちの半分以上が20歳以下だと知り、お酒は出せないことに気づく。ソフトドリンクの打ち上げか。
大学から帰り、天使たちに再び会いに。今日はおねーちゃんの英語の塾の日で、しかも年に一回の保護者参観なのでした。去年は、参観中爆睡していたので「今日は絶対寝ないでね」と念押しされる。授業が始まり、すぐに強烈な睡魔に襲われるが、娘に嫌われるのが怖く気合いで乗り切る。「ニョロニョロ」と娘たちが呼ぶ、タピオカのジュースをせがまれ購入。すぐ近くに「ゴンチャ」というものすごい人が並んでいるタピオカドリンクの人気のお店があるのだが、あくまで「ニョロニョロ」を選ぶのはメジャーには屈しないという血がさせるのだろうかと、どうでもいい想像をしながら一口もらう。甘い。
おねーちゃんを家まで送り届け、その足でOngoingへ。今日は父親と叔父がOngoingに来ていた。不定期で開催される「兄弟会」と称する父兄弟の飲み会の帰りに必ずOngiongに寄ってくれるのだ。お寿司のお土産を平日のカフェ担当のはるかと自分に買ってきてくれていて、それを頬張りながら父と叔父の昔話を聞く。ほとんどが聞いたことのある話の繰り返しなのだけど、それがまた耳に心地が良い。70歳をとうに超え、すっかり小さくなってしまった二人の老人の話は、圧倒的に暖かく尊い。
二人の小さな天使と二人の小さな老天使に挟まれた長くも短い1日。

小川希

抜粋日記2
2019年6月29日

デッサン1

デッサン2

デッサン3

 

昨日一人で行った「黒山三滝」でのメモ・デッサンより抜粋。

 

川角君がアメリカ体験と比較して日本の気候. について「すぐに苔がはえてモノや作品が壊れる」と言っていたのを思い出す。

女滝の滝壺付近にて.

(それにしてもソウカイだ!作品など湿気を帯びて壊れてしまえばいいだろう!!) 2019.6.28

 

越生・黒山三滝.調査 1日目.

前回以上に森や、シダや、冷たい空気や岩や水がセマッてきた.

下流、天狗  上流に男滝、女滝.と確認。

また気が向いたら来たい。

 

 

男滝.滝をよく見れる距離でながめる.ぱっと見は、白っぽい落下する水.という漠然としたものだ。

 

-中略-

 

落下速度も体感としてわかる。

 

-中略-

 

よく視ると「くだけた水が散って落ちている印象」。

その形は三角がねじれ分散しているような形。矢印にも見える。

……………………………………………………

適度に動くことができた一日だった。

気が向いたら、来よう。

 

高橋

 

 

あなたの知らない世界
2019年6月28日

凶悪な宇宙恐竜のように硬質な長い首を振り回して、粉塵のむこうで嫌らしいダイダイ色のショベルカーが暴れている。
バキバキバキバキ。
眼に映るもの全て、あらゆるものを獲物として、敵として認識しているのだな。
手当たり次第に躊躇なく、優しさのカケラとて有るわけも無く、執拗かつ的確に、射程圏内なべてをその強靭なギザギザの牙で貪り、粉砕し、食い散らかす。
バキバキバキバキ。
迸るマキシマム・ギガ・ネガティヴ・エネルギー!!
哀れ、逃げ惑うすべを持たないまま、グッタリとなすがまま、微塵に蹂躙されるのは、主亡き後のアトリエと、取り残され、みはなされた物たち。



バキバキバキバキ。バキバキバキバキ。
バキバキバキバキ。バキバキバキバキ。
バキバキバキバキ。バキバキバキバキ。
バキバキバキバキ。バキバキバキバキ。



瓦礫と土埃の隙間からチラリちらりと、美しい色の絵の具の乗っかった画布の切れ端が見え隠れする。木枠ごとたやすく骨折させられ、畳まれて、タンポポの綿毛のようにも軽やかに吹き飛んで散りぢり、小さくなっていく。キャンバスはただの柔らかい布だとぼんやり気がつくが、もう遅い。



よくぞ集めた様々な釣り道具。足の千切れたカエルのルアー「かへるくん」。
バキバキバキバキ。
ロクに弾けないのに沢山のギターとか。切れた弦の白鳥の歌「Born to Lose」。
バキバキバキバキ。
読みもしないのに積んであった立派な書物や、こちらは読み込んだ少年漫画(JC)。
バキバキバキバキ。
やたらと物持ちが良かった衣類。カッコイイ帽子やイカしたジョンソンズのブーツ。
バキバキバキバキ。
あとは食器とか工具とか、買ってから一度も目を向けなかったお土産品とか。
酒の空き瓶、昔のおもちゃ、いつか作品に使うはずだったガラクタなんかも。
レコードとかCDとかカセットも。
バキバキバキバキ。
バキバキバキバキ。



そんな陰惨な光景。白昼の惨劇。公開処刑。セ・ラヴィ。野次馬さえも居ない.
或いはそれはそれでまた、例えばジャン・ティンゲリーの私の大好きな「New York賛歌」みたいにあっけらかんとした情景にでもなるといいな?



ああ。しかし。
なんかウンザリだな。



バキバキバキバキ。
バキバキバキバキ。
バキバキバキバキ。
バキバキバキバキ。



空き地を見るたびに、他人の家屋の解体作業現場を見かけるたびに、
頻繁に心によぎる下降的幻影。我が死後のわたしの知らない世界。



あああ。
才能と運と気力と体力と知力と努力と根性と金と地位が無いなあ、無かったな。
バキバキバキバキ。
ウンザリだなあ。



小川格

2019/06/27 数メートルおきにふりかけ
6時におきて今日申し込み発送〆切のコンペの文章をパソコンで書く。400字以内。昨日てきとうに書きたいこと書いたファイルを開いたら意外と469文字くらいで収まっていて、でも変なことも書いてあるので消したり付け足したりして520くらい。よくわからなくなったので申し込み用紙の記入を進めて、素材になんて書こうかな?グラファイト?グラファイトとは。と調べだすとよさそうだな、と思う筆記具が出てきて、やりたいことに今更ぴったりな気がしてアマゾンで頼んでまた文章に戻るけど眠くなったのでもう一度布団に戻って寝る。一昨日ハンガーラックが壊れたので中身の服を部屋と部屋の間の鴨居?にどっさりかけていて、それをくぐらないと部屋の行き来ができないのでそこをくぐって移動する際尊厳みたいなのがやられるというとオーバーかもしれないけど家の家らしさ、移動しづらさ、人らしさが減じるという実感が湧いた。早く買わなきゃ今すぐ買わなきゃと昨日池ちゃんが注文していたのが正しい。

 

また起きて9時くらいに書類ができたので郵便局に歩いていく。

 

400字詰めの手書きの字がいいんだか悪いんだか、読んで受ける印象について、でもどちらかというと内容をそこなうかも私の字、内容頑張れ、と思って歩く。川沿いに一本長いタチアオイが立って揺れていて正面から見たら1つだと思っていた花が、あるなと思っての実際は横を通る時に茎を挟んで背中合わせに2つ花があった。

 

薄紫色の帽子で首後ろも守られてるやつを被った幼児5人が生垣の向こうで複雑に絡んで見える時に聞こえてくる音がだんだん大きくなると見えた川向こうのマンションが不思議な取り壊され方をしている。中身だけ、空っぽにしたりしていなかったりする部屋がランダムにあって瓦礫がつもっている。アトリエにさせてくんないかな?嘆願書?とか出したら意外とありえるのでは?区民税払ってるし。区民税、こんなに稼ぎが少ないのにこんなに?!と目が飛び出た。疑問。前に住んでた武蔵野市は私が死ぬんじゃないかと心配して、返すわ、という手紙が来て、じゃあたのみます、と手紙を返すとたまに1万円くらい返してくれたりしたきがする。夢か?

  

小学校の脇に生えたピンクの花が可愛いが名前がわからない。名前がわからないとこうやって書く時に記述できない。と思うけど名前を記述できた時にそれを読んだ人が名前を知っていなかった場合、またそこで頭に浮かばないのだから、名前を知っていて書いてしまっても別の不便さがある。全員が知っている言葉はない。だとして全体が8センチくらいで釣鐘っぽい形でピンクの花びら5枚か4枚がくっついてるかんじでピンクの中に赤い筋がちょっと見えるのが茎の方にだんだん流れて赤と緑が混じった色になってなだらかに花と繋がった茎は直径8ミリくらいで切ったらストロー状に空洞になっていそうなかんじで白いめしべがみつまたになって黄色いおしべが見える。と書いても私が思い浮かべているものが頭に浮かぶように書けたかというとたりない気がする。そんなこと言ってもしょうがないんだけど。
個人電気屋の前の地面に「この商店街には防犯カメラが21個設置してあります」と青い油性マジックでかかれた天付け照明の丸い白いカバーが立てかけてある。ゴミっぽい。そうである前にここが商店街だということを初めて知ったぞと思いながらこの寺の前に貼ってある文言この前は「お金あってもあるだけ全部使っちゃダメ」みたいなのでなんかちょっと変というか本日も期待、と見ると「この泥が あるからこそ咲く 蓮の花」ってBUMP OF CHICKENの感動させ方とおなじ方法を使ってくるかんじ。
キリスト教の図書館の柵から出た葉が数種、数メートルおきにふりかけみたいに道路にぱらりと落ちている。柵の向こうに誰もいないところで、パラ、と落ちる瞬間があったから、カミキリムシみたいな謎虫の仕業だったら可愛すぎると期待するがしばらく先に同じ様子に木を切るおじさんがいた。パラ、と落ちていたのはおじさんの余韻と風だ。

 

150字でスクールの授業の紹介を書かなきゃいけない締め切りが過ぎていて、そしたらツイッターぷらす10文字の感じで考えたらやりやすいかな、と思ってツイッターの画面で書く。寝ちゃう。起きてなんだか、と思いながらまとめて、文字数超過で書けなかった部分が一番言いたい説、コピーされていってメールにペーストされた他の説明に取り残されたその部分「化石は発掘されるために化石になるわけではない」をそのまま投稿した。

 

 

暑すぎてシャワー浴びる。

水貼り。やりながらやり方を思い出して失敗してやり直したりして見積もりよりも時間が全然かかった。

 

家にいようか迷うが、結局焦ることになるのだからと思って、冨井さんの展示を見に行くのと、そこでれいこちゃんと合流してその後打ち合わせできるね、となる。日暮里はフィクションめいていてこんなところに普段暮らしているひとがいるのかな、と思って言った。

 

吉祥寺でうどん食べ終わらなくて焦る。
高石さんにきてもらって合流。迂闊にここに意味を結ぶことを書くとなんかもう書けなくなりそうだから書かない。自分の知性の無さに暗い気持ちになりかける。今回のことが具体的にどうなるとしても蓄積という言葉が刺さっていて蓄積したいなという気持ちは強い。
反射みたいな感じで作っていくのだと無理が来るというかたんじゅんにうまくいってるのかそうじゃないのかわかんなくなってったりって気がする。去り際「冗談だけど全部ぶら下げて反重力とか!」と言ってガハ!と笑っていて笑ってしまう。
帰宅していでつさんの「圧倒的日常2」読む。

日記書く。
眠い。
齋藤春佳
圧倒的日常2
2019年6月27日

 

 

 

おつかれさまでーす。ぁおつかれさまー。暑くなりましたね。プールの時は寒そうだけど。うん、なんかもうなむははあやねー。

……イラストレーターさんなんですか?なんか聞いたー。え、いやいや、イラストはただ趣味で。昔ウェブの仕事とかしてたってだけで。あ、そうなんだー。なんかイラストレーターってことになっちゃってる。うん、イラストレーターだって聞いた。笑。ほんと趣味。へえーそうなんだ。

……わたしも絵を描くんですよ。趣味っていうかまぁあれなんですけど、、えー!そうなんだ!なにで描くの?油絵とかです。えー!すごいー。こんど教えてもらいたい。

学校とか美大?うん、たまび。えぇーすごい。尊敬ー。美大ですか?ううん、たまびに行きたかったんだけど、受からなくて、くわざわ。ぁくわさわなんだー!へえー。実家が南大沢だから、たまび行きたかったー。あっちの方に住んでた?うん、橋本に住んでた。橋本のTSUTAYAわかる?あ、駅の?そうそう、あそこで四年くらいバイトしてた。えー!じゃあ会ってるかも。ねー。でも何年卒だろ?2009年卒。うーん、雨宮さんとか知ってる?えっ?!?!雨宮庸介さん?ううん、ようすけさんじゃないなあ。あと誰かいたかなー。丸山さん?とか?予備校のときの友達とかけっこういるんだよね。へえー。予備校どこですか?トウリンってゆうとこ。えー!!わたし講師してたー。えーー!!すごーーーい。うん、卒業してから少し。てか講師?!ってめっちゃうまいんじゃん。いやー、ハッタリですけどねー。いやいやー。先生とかすっごいうまかったもん。すごいわ、レベル違う尊敬ー。でもビックリこんな偶然あるんだー。学校はまだしも登臨知ってるとわ。狭いからね〜。いやーすごいびっくり。こんど絵見てみたいなー。いや〜はははは。

 

 

出津京子

パスポート、政治と芸術
2019年6月21日

昨日(19日)は小川さんと飲んでて盛り上がって終電を逃し、はじめてレジデンスに泊まった。

 

五時半くらいに起きだし、家に帰ってまた寝る。昼頃起きて期限が切れたパスポートの再発行を申請しに、相模原の実家の方に行かなきゃいけない。

 

そこまで二日酔いではないけど、駅前の「くじら食堂」でラーメンを食べて、元気をだす。醤油ラーメンなので二日酔いには優しい。(ラーメン食べれるのはそこまできつくない。きつい時はまずコカコーラ、その後かけうどんを食べるしかないというのが長年の研究のファイナルアンサーだ)

 

むくんだ顔で写真とか撮りつつ、それでも結構スムーズに申請終わる。

 

久しぶりに実家に帰って、明日(21日)のオンゴーイングのイベント「政治と芸術」の参考資料になるかなと思っていた香港アーティストユニオンの人の文章を翻訳してみる。たまたま知り合った香港の作家がシェアしていて、なかなか良い文章だなと思って小川さんに提案してみたら、オンゴーイングとエクスチェンジプログラムを始めた張本人だといわれて驚いた。

 

訳してみるとかなりインテリ感のある文章で、どうかなあ、オンゴーイング向きかなあという疑問にかられつつ、結局日を跨いでしまってから訳し終える。

 

もう21日のイベント直前になってしまったけど、とりあえずここにも載せときますね。興味あったら読んでみてください。まんま「政治と芸術」が主題になっているので、共感できるかもしれない。

 

香港にいる、香港と共にあるアーティスト、アーティスト志望者、アートに触発された人への公開書簡

 

アートを作り出す人、アートを成り立たせている人へ

 

私たちは今、アートにおいて、アートと共に、アートの為に、アートとして行っていることをプロテストに参加する為に中止しなければならないような試練の渦中にいます。これは以前にも起こって、今また起こり、そしてこれからも何度も起こるでしょう。

 

互いに肘を組み合って行進するために今抱えているものを一時中断し、予定を繰り合わせるという行いは美しく、やむにやまれず、またとりわけ危機的状況においては緊急的に必要となるでしょう。私はこの手紙をそれを非難するために書いているわけではありません。全くない。私はプロテストの為にアートをないがしろにしなくてもよいという事例を作り出そうと、これを書いています。我々は両方を同時に行うことができるはずです。いやむしろそうしなければなりません。

 

私の考えはこうです。アートはプロテストのために時間と空間を作る為に停止されてはならない。私はプロテストとアートが真の意味において二分法となると考えることを拒否する。私は真の意味においてそれらが相互に排除的であるかのように、片方をもう片方よりも重要なものとして選ぶことを拒否する。軋轢は路上にある−それぞれの体に、失われてしまった体に、争点に。アートに携わる私たちへの試練はより大きくなっていくでしょう。我々はプロテストからだけでなく、アートからも必要とされています。我々はプロテストする身体になるだけでなく、しなやかで、感覚的な身体になる必要があります。描く、塗る、踊る、動く、跳ぶ、触る、笑う、口笛を吹く、夢見る、ぼんやりする、質問する、考える‥‥私たちが行ってきたこれらのことは私たちが自己規定する(rule ourselves)、その自治のあり方をより良く豊かにすることができるでしょう。

 

私たちは私たちを支配しようとしてできない者たちと向かい合っています。彼らは名付けられないものを押しつぶつすことで支配します。もしくは彼らは彼らが恐れるものを名付ける(縮減し、コントロールする)ことで押しつぶし、彼らのナルシスティックな侮蔑の対象に格下げしようとします。自らを規定するために、私たちはもっと上手くやらなければなりません。

 

支配しようとする者たちは絶えず夢想家を殺したいと望んでいます。これは人間の歴史でいつも起こってきました。彼らの不安や無意識を見通す人たち、自由な精神には境界線がないことを知っている人たちを恐れるからです。自らを規定するために、私たちはもっと上手くやらなければなりません。

 

アートは安全ではありません。独裁政府が全てのことに要求を突きつけるとき人間の根源的なものが全て安全でないのと同じように。もし自らがアートに必要とされているということを忘れさろうとしているならば、私たちは専横的な権力に人間性の根幹を破壊されようとしているのでしょう。自らを規定するために、私たちはもっと上手くやらなければなりません。

 

プロテストは異議を唱えるのたった一つの形ではありません。アートもまた、規範を減らし、異なった考えを主張することによって異議を唱えることができます。私たちは社会によって統制された日常の行動をストライキすることで、社会に浸透している専横的な権力に反抗することができます。しかし私たちはアートにおいて、アートから、アートを通して想像し、思考し、心に描きだす力をストライキすることはできない。私たちの生をストライキできないように。異議申し立てとしてのアートを維持していくために、自分たちが何者であり、自分たちの最も巧みなことを示して立ち上がるために、私たちはより強く試みなければなりません。これもまた、自由と自己決定の為の戦いです。自らを規定するために、かりそめの二分法からくる偽の選択を自らに強いてはいけません。自らをよりよく規定するために。

 

もし私たちがアートの中にある自らの存在を、もしくは私たちの能力の核であり、未来の可能性であるアートという手段を捨て去らなければならないとしたら、誰も私たちを救うことはできず、またアートを守ることはできないでしょう。アートこそが最も明らかにすることができる人間の本質、ニュアンスや複雑さ、不確定さから目を背けていけません。自らをよりよく規定するために。

 

あるアーティストの友達がジョージ・スタイナーの箴言を太平洋の向こうから送ってくれました。「ある美と慰めについてのインタビューでジョージスタイナーは1937年のソ連の作家会議について語っている。その会議では作家はスターリンに忠誠を誓うか、さもなければ逮捕されてしまう状況だった。パステルナークは沈黙を守っていたが、それでも逮捕されるかもしれなかった。最終的に、彼は立ち上がりシェイクスピアのソネットの番号を引用した。2千人の人々はそれに応えて立ち上がり、そのソネットのパステルナークによる翻訳を暗唱した。このエピソードは教えてくれる。私たちに触れることはできない、シェイクスピアを、ロシア語を、そして心から学びとったことを破壊することはできないと。」

 

ヴァーツラフ・ハヴェルの言葉もまた鳴り響いています。「社会を『上から』観察している人々はせっかちになりがちだ。かれらはすぐ現れる結果を求めている。すぐ結果を生み出さないものは愚かだと断じてしまう。彼らは年月が経ってからでないと評価できない行為、道徳的な要素によって動機づけられている行為、何も成し遂げられないリスクがある行為に共感することができないのだ。」

 

私たちの本能はこれは取る価値のあるリスクだと告げています。私たちは愚かなままでいることができる。「この極端なエネルギーのあり方、本能の統治、直感の徴用システム、それこそが芸術家のしるしであるが、それを名付けるための正しい言葉をまだ我々は手にしていない。」(ジョージスナイダー、「真の存在」)

 

このエネルギーが我々を手放しませんように、我々がこのエネルギーを手放しませんように。

 

行進の中で、ストライキの渦中で会いましょう。もっと多くの行進を、もっと多くのストライキを。

 

楊陽
2019年6月14日

#香港藝術家工會

 

翻訳:高石晃

原文はこちら。(英語あり)

立場新聞 Stand News: 一封致現正/有志從事藝術、受藝啟發的香港人以及與香港同行者的公開信

 

高石 晃