Ongoing Collective DIARY

東西+中部ラッパー球団スタメン熟考表2019
2019年5月21日

これは東西+中部ラッパー球団スタメン熟考表2019です!

日本で活躍するラッパー達を活動地域別にチーム分けし、ラップの声、フロウ、ライミング、そして個人の性格を予測し選抜しました。これが僕のドリームチーム3です!みてね!

 

|西軍|

1 右翼手・GOBLIN LAND
2 三塁手・紅桜
3 一塁手・HIDADDY(韻踏合組合)
4 指名打者・LA BONO
5 二塁手・Young Yujiro
6 捕手・MC BIGFACE(RAMB CAMP)
7 左翼手・Minchanbaby
8 遊撃手・TOMOGEN (元DOBERMAN INC)
9 中堅手・RYUZO

開幕投手・JIN DOGG

監督・ハタナイ総裁(TOJIN BATTLE ROYAL)

 

 

 

|東軍|

1 右翼手・SANTAWORLDVIEW
2 遊撃手・Benjazzy(BAD HOP)
3 三塁手・Mony Horse(MONYPETZJNKMAN)
4 指名打者・NIPPS
5 捕手・OSUMI(SHAKKAZOMBIE)
6 二塁手・PRIMAL(MSC)
7 中堅手・Dutch Montana(練マザファッカー)
8 左翼手・剣桃太郎 (妄走族))
9 一塁手・マイクアキラ (四街道ネイチャー)

開幕投手・SEEDA

監督・山田マン(ラッパ我リヤ)

 

 

|中部軍|

1 右翼手・CAMPANELLA
2 遊撃手・SYGNAL
3 三塁手・呂布カルマ
4 指名打者・ANTY the 紅乃壱
5 中堅手・C.O.S.A.
6  左翼手・AKIRA(M.O.S.A.D.)
7 二塁手・WATT(ENDLESS FILE)
8 一塁手・SOCKS
9 捕手・Mr.OZ(PHOBIA OF THUG)

開幕投手・GANXTA CUE(PHOBIA OF THUG)

監督・AK−69

 

 

 

 

 

山下拓也

5月20日 (月)

3週間くらい、ほぼずっと一緒にいて、同じ物食べていた人が今朝帰って行った。

ほぼずっと一緒にいて、同じ物食べていたからか、だんだん言葉にする前に相手の考えていることが分かるようになってきていた。さみしい。これから右手にささったとげは誰に抜いてもらったらいいのか。なに言ってるかわからない中国人のおばちゃんへの対応は?洗い物が山になっているときに一緒にやってくれて、元気ドリンクつくってくれるのは?

ただでさえ繁忙期なのに、楽しくてはしゃいで、睡眠時間を削ってポーカーしたり海に散歩しにいったりしていたからぐったりしている。ふたりとも疲れてハイになって、よけいに遊んでまた疲れて、不機嫌になりかけたりしながらも持ちこたえて、濃くて早い日々だった。

島は強風が吹き続けていて、今日で4日目。畑の豆たちはみんな斜めにかしいで、看板は吹き飛び、夜は悲鳴のような音が鳴り止まない、家が揺れる。

今日はついに船が止まった。それで、絶対暇なはずだから、そういうときは自分の食べたいもの、あんまりたくさんは作れない特別なものを作る。畑から山のようにつんできたグリンピースと、先週の買い出しの時に豚バラブロックで仕込んでおいた塩豚で煮込み。子どもの頃、グリンピース嫌いだったけど、それは冷凍のミックスベジタブルしか食べたことなかったからだった。生の、鞘から剥きたての、畑から収穫したてのグリンピースったら、なんてこと!ってくらい香りがぷうんとして最高。グリンピースより、えんどう豆の方が魅力的にきこえるかしらと思って、メニュー表には「塩豚とえんどう豆の煮込み」と書いた。

キャッチーであること、受け入れてくれる人が多いものについて最近考えている。ほぼ観光客、しかも日本人、アジア人、欧米人、子どもも来るし、時々来る島のおじちゃんこそ満足させたい。ターゲットがしぼれない。でも何種類も作れない。おいしいって、みんな違う好みを持っているけれど、ある程度の範囲があって、なるべく万人に受け入れられて、かつ、鋭く突いていくポイントのある味をつくるのが今の目標。

煮込みの話にもどる。店の外壁と道の隙間にたまった土のところにタイムが生えてきていて、それと、オレガノ、熊本の新にんにく、畑の新玉ねぎ、大きく切った塩豚とたっぷりのグリンピースをいれて弱火にずっとかけておく。その間にスコーン焼いたり、煮込む前に捏ねておいたパンの成形したり、余裕あったからちょっと仮眠したり、パンケーキ食べたり、掃除したり、風ではがれ落ちそうになっている板をむしり取ったりする。

味見をしたら、バラ肉だったからけっこう脂が多くてこってり重すぎる。最初、焼いてから煮ようか、と迷ったが焼かず、玉ねぎも炒めず、全部生のまま、いきなり水を入れて煮始めたからそうなった。でも焼いたら作りたかったかんじのものとは違くなるから、正解だったんだけど、ここからすこし軽くする工夫する必要ある。煮汁を取り分けて冷ます。肉は脂身をこそげる。冷えた煮汁から、白くかたまった脂をすくいとる。

豆と煮汁とほどほどの薄切りにした肉を温めて、生のオレガノ乗せた。別のお皿にごはん、きいくんのおばちゃんからもらったレタス、畑で間引いたビーツの葉っぱのくったり煮(ビーツ、もっとマニアックな味になっちゃうかもと心配したが、際立った癖もなくだれも残さず、安心する。くったり煮、万能感ある。)赤玉ねぎの梅酢ピクルス、スナップえんどう。盛りつけてから、あ、煮込み、ビネガー煮にしてもよかったなーとふと思い、酸味にマスタードと思ったが切らしていて、茂ちゃんのレモン添えた。

煮込みが残ったら私が食べようと楽しみにしていたが、船が止まった割には結構お客さん来て、売り切れた。煮汁だけ残っていて、そこに使いかけの豆腐と、昨日、鶏ひき肉とグリンピースのワンタンしたときのタネが残っていたのを入れて、スープ。食べる時にミントちぎって入れた。豆腐とミント、ミントとグリンピース、の組み合わせは熊本の師匠の亜衣さんのレシピにあって、一緒に旅した雲南を思い出す。肉だねに片栗粉入れていたから、食感がつるっとしてておいしい。煮汁も脂が多いから、煮立たせたら白濁して、とろっとして、豆腐も食感がそろっていて、ぜんぶつるつるふわふわした白っぽいもののなかに、グリンピースは周りはつるっとしてるけど、ほくっとしてぷうんと香りがあって、ミントはひんやりするイメージが来て、いいぞいいぞと思いながらそれだけをたくさん、どんぶり2杯食べた。

 

高木花文

おねしょしたくなった
2019年5月20日
5月19日(日)の日記は、不肖私、柴田祐輔が担当します。恐縮ス!せっかくだから5月19日に起こった事を書こうと思ったけど、その日は一日中8年ぶりとなるHPの作品ページの更新作業をひたすらやってただけで(さっきアップ!)なんの面白味もないので、先日娘と行った、これまた10年以上ぶりの釣りのことを書いてみよっかな。うちの娘は魚を見るのも食べるのもどっちも大好き。一緒に水族館に行ったり、魚の図鑑を見たりしてあーだこーだ話すのがけっこう楽しい。家の中で、棒に紐をつけて釣りごっこもよくしてたんだけど、娘がどうしても本物の釣りに行きたいと言う。しばらく東南アジアに行って会えないから、罪滅ぼしのような気持ちでネットで買った格安の竿と仕掛けを持ってLaLaport近くにある船橋港に出掛けることにした。結果から言うと最後まで全く釣れなかった。餌を噛じられてもうちょっとで釣れそうだったのに〜とかの手応えさえも一切感じることもなく、釣り人一人いない海で釣り竿を垂らし続けていた。一度だけ場所を変えようと、新たな釣り場を目指して海沿いの工場脇をひたすら歩いてみた。途中で工場に向かう自転車に乗ったたくさんのアジア系の人たちと幾度もすれ違い、釣りに来なければ訪れなかったであろう場違いなエリアに自分がいることを感じる。コンビニでクーリッシュを買って日陰で娘と食べながら、自転車が横切るのをぼーっと一緒に眺める。再び歩き回って探したけれど、釣れそうな場所はどこも釣り禁止の看板が出てて、結局1時間掛けてはじめ釣っていた場所に戻ってきただけだった。娘の釣れるまで諦めたくないとの揺るぎない決意を受け、再び釣り人一人いない海に釣り竿を垂らす。忙しい日々とは対照的に、なんともゆったりとした時間が過ぎていく。この釣りのやり方は間違っているかもしれないし、そこには全く魚がいないのかもしれないけど、それでも海へ釣り糸を垂らし続ける行為は、何か、確かじゃない事の頼りない可能性を信じてみるポジティブな行為のような気がして、すごく豊かな時間を過ごしている感覚もあって楽しかった。正確な情報や豊富な経験を持たない非効率的な行為の内にしか味わえないこの感覚って、日々の忙しさの中でよく後回しにされてしまう。効率の良さを疑うことの難しさについて、かつて西瓜糖のオーナーだった大町さんに言われたことを思い出す。その一方で、正確な情報を持ち、知識を深める事でしか見えてこない風景についてもぼんやり考えていた。娘の送り迎えの際に雑草を摘んでは家に持って帰ったりして図鑑で一緒に調べるのが習慣になり、行き帰りで目にするほとんど全ての雑草の名前を覚えてしまった。同じように見えるホトケノザとヒメオドリコソウを僕が間違って覚えていたのを指摘して、その違いを教えてくれたのは娘だった。それまで雑草としてしか視界に現れなかったものが、名前を覚えてその特徴に敏感になると、知らずのうちに風景のディテールまでにフォーカスが合うようになっていた。さりげないけれど、その見えている風景の質が変わる経験が結構大きな衝撃だったなぁ、とかとか色々ぼんやりと。でもやっぱり釣れないから、なんでこんなところで釣ってんの?って感じで気にしてくれていたであろうおじさんに釣れる場所を聞いてみると、事細かに船橋の釣り事情を教えてくれた。どうやら場所も仕掛けも見当違いだったらしい。それでも諦めずに釣り竿を海に垂らし続けてみた。
18時も過ぎた頃、流石に疲れて石で出来たベンチに寝転んでみると、日中の陽射しの温もりが背中に心地よく感じられた。時間と共に涼しくなっていく空気と背中のベンチの暖かさが調和して、10分ぐらいか、めちゃくちゃ気持ちいい時間帯があった。それも、だんだん良くなっていくピークを肌に感じ、ゆったりとピークが過ぎて行く余韻を楽しみながら、肌寒くなるまでうつらうつらしながら。それでなんだかおねしょしたくなった。
柴田祐輔
夜更かしが終わらない
2019年5月18日

最近彼女(妻だが、妻は語感が好みでなく、奥さんは言いやすいが主婦感があって嫌。自分より働いてるから)と話していたら、自分が当たり前だと思っていたものの感じ方が彼女からすると不合理で笑えるものだと判明する。例えば「共感性羞恥(人が恥ずかしいことをしていると自分も恥ずかしくなるやつ)」とか、デリカシーはないのにやたらに人の表情を気にして疲れるとか。。そう考えると、他にも色々ある気がしてきた。

一番困るのは集中力がなく、本を読んでいても作品を制作していても、ふと気づくと別のことを考えてしまう。何かをする副作用として、何かを思い出しているのです。最近よく「思い出が大事、思い出作りたい」と公言しているのは、その主従が逆転して思い出すことの重要性が高まっているのだ。気分が良いときはいい思い出に浸り、いい思い出を思い出せばいい気分になる。いい思い出の最新作は、やはり台湾で参加したグループ展でしょうか。

いつもスカジャン着てる寺さん、台北芸術村で出会ったサイモンさん、黄金町で一緒だったロバート。とりあえず私が責任者を担当、みんな作品だけ送ってくれれば良かったのに全員来た。割と住みやすいギャラリーに4人で寝泊まりしてマジで楽しかった。

ある日、友達のイーリンとヤオチョン夫妻が「ちょっと前に完成した立派なオペラハウスを見に行こう」と車を出してくれた。なぜか寺さんを放置して、サイモンとロバートと同行。道中イーリンが興奮ぎみに「ララランド観た?」と聞いてきたが、異邦人三人は誰も観ていなかった。「なんで観てないんだ」とイーリンががっかりしていると、「ライアン・ゴズリングがマジで嫌いだから。。」とロバート。みんな驚いたが、よくよく考えると自分にも嫌いな俳優はいた、ベン・アフレック、アンソニーホプキンス、マイケルケイン、、。敢えて観ないほどじゃないけど。そんな様な会話をサイモンはニヤニヤ聞いていて、ベン・アフレックについては同意してくれた。

そう。サイモンと仲良くなったのは、同時期に滞在したTaipei Artist Villageのバーで、韓国映画の話で盛り上がったのがキッカケだった。彼が映画に詳しいので、「オーストラリアにいい映画はないの?」と尋ねると「ない」とだけ答えたのが印象的だった。加えてオーストラリアのロードムービはアメリカのそれと違い、悪い場所に向かう傾向があるとのある映画批評を紹介してくれた。その時にオーストラリアがコアラやカンガルーの楽園ではなく、塩田、不毛の大地が続く土地だと知った。そしてその数年後オーストラリアのレジデンスに参加したヤオチョンが、滞在中にスカイプをかけてきて半泣きで「退屈だから遊びに来てくれ」と懇願するのだった。「そっちはマッドマックスみたいな感じ?」「Mad Max.. sounds so fun. But no gangs here.」「意外とオーストラリアって日本から遠いね。頑張って。see you soon」。

サイモンの先祖はドイツ系でクーパーという苗字は、戦争の時にドイツの苗字から変えたそうだ。スコットランドやアボリジニの血も混ざっており、髪の毛はロシアンブルーの様な独特な灰色で口髭は赤い。最近白髪混じりで三毛猫状態。宗教は「自然信仰」。全てサイモンが確か聞いてもいないのに教えてくれたことだけど、英語を聞き取りやすい様にゆっくり他愛のない話をしてくれるのが自分の曽祖母や祖父母の様で落ち着くのかもしれない。私のお婆さん達に何度も話を聞かされた、戦時中の武勇伝を思い出す。畑泥棒を追っ払い、憲兵の奥さんに皮肉をいい、低空飛行するB29の追跡から逃れる。

彼がE-mailで最近やっと開設した自分のホームページのリンクを送ってくれた。「Hotel shaman」その美しい写真集に写っているのは、ホテルのカーテンを纏い蛍光灯を杖にシャーマンに扮したサイモン。それと5月から夏にかけてパートナーとヨーロッパを巡るそうで、「伊佐治は最近どう?」だって。

文章を書いていると、目が冴えてきて眠れない。先程一階のお爺さんがまた幻聴を聞いたようで、壁だか天井を叩いたりピンポンを連打したりする。刺激しないように布団に入ることにしよう。私の連れ合い(あまり使い慣れない言葉だが、尊敬する知人女性にこの言い方を褒められた)も舌打ちをして寝る準備を始めた。

伊佐治雄悟

 

a頭かな柔さはら―近況
2019年5月17日

4月27日

おとうさんにいいたいこと

おとうさんしょあきねんこえいき

たい

 

4月29日

おとうさんさき

せんたくきが

こわれてげ

すいにはいて

とおもてちがた

けどあのみず

おぬいたのにび

くりしてこわくて

ないちゃたよお

とうさんのせで

 

5月2日

おとうさんにいいたいこと。

おとうさん

きょうかみなりもふるか

らきよつ

けてね。とばす

よるかゆうがた

 

5月6日

おとうさんさっきおべんきょう

のおてつだいやても

いいよていたのにだめ

ていてほんとわさいしょ

だけおとうさんういちゃん

のおべんきょうおてつだい

てつだうていてたのにそのほ

かわだめていてたけどほ

んとわてつだうていてたん

だよねおとうさんわそういて

たんだけどういちゃんわだ

めていてたとおもてだけど

おとうさんわそいてた(ハート、星、ハート)

(青虫、汽車)おとうさんだ

いすき。(ハートのバッグ、普通のバッグ)ぬりえ(ハート、星、ハート)

 

***

 

老人とプリウス

 

マッドマックスみたいな世界観で

でも舞台は砂漠じゃなく海。

老人たちは皆プリウスを改造して海を走っている。

子供をみつけてブレーキと間違えてアクセル全開して轢くとカジキが釣れる。

釣ったカジキをトランクに入れるが大きすぎて入りきらないので、バックドア開けっ放しで家に帰る。

轢いた子供が後ろからゾンビのようについて来てカジキを寿司にして次々と食べるので、家に帰ったらカジキは骨だけになっている。

みたいな話。

陳腐~。映画化決定~~。

 

ちなみに70を超えるじいじ(僕の父親)も

プリウスに乗っています。

 

要するに、いろいろと心配。

 

***

 

5月16日

かぜはかり。

→おねつ。

→かぜ。

→げんき。たいよんけーなし

→しむ。あいして。

→こせつ

げぼ

ぼえぼぴ

 

かぜはかり

め、みえない→

めが

みえ

ない

よー。

 

 

***

 

5月17日

で、車通勤。今日は中野と新宿区内の現場計3件。安全運転DEATH。

延長保育でお迎えに行ったら一番最後だった。

明日は保育園の親子遠足。みんなで狭山公園に行きまーす。(昭和記念公園じゃないけど楽しみだね)

 

東野哲史

朝の身支度うんぬん
2019年5月16日

5:45 1回目の目覚ましが鳴る
5:55 2回目の目覚まし鳴って、その音で起きたのか猫がゴロゴロ喉を鳴らしながら寝ている私の体に飛び掛かってくる。
6:00 3回目の目覚ましが鳴る、いよいよタイムリミット起きる。生島ヒロシのラジオをつけながらシンクに溜まった洗い物を片付ける。足に猫が絡まってくるので餌をあげる。ラジオでは70歳雇用の安定の話。70歳までこのまま働くの辛いな、私が70歳になった時は80歳まで働かされそうだな、退職金だって無いし年金だけではどうしょもない、老後なんてない。その前に来年も今の仕事更新してできるか怪しい。朝、生島ヒロシのラジオをつけて身支度するのは家に壁掛け時計がないのとテレビが見れないので時間がわからないから。最近の生島ヒロシのラジオは政権に寄っているコメンテーターが多いようでなかなかどうして朝から同意しかねない内容もあったり、もやっとする。以前の方がバリエーションあるコメンテーターが多かったように思える。荒川強啓デイキャッチも突然終わったし、永六輔の新世界の放送が懐かしい。それでも朝生島ヒロシのラジオをつけてるのは、6:30番組が終わる10秒ぐらい前にちょっとした小話を入れつつHave a nice day!good luck!!で結んで終わる疾走感。これは神業。そんなどうでもいい話してて最後言えるの?っていう緊張感の中やっぱりちゃんと言えた!という時と、たまにゲストの話が長くて言えない回があったりする。生島ヒロシが夏休みなんかでいないときはTBSのアナウンサーがピンチヒッターで登場するけど生島ヒロシに勝るHave a nice day!good luck!!を繰り出す人はいないのだ。そして今日の生島ヒロシのHave a nice day!good luck!!は普通だったが安定感があった。
6:35身支度も終わり通勤が始まる。通勤時間約2時間。それでも電車は座れるので、1時間は睡眠時間みたいなもん。
駅まで乗るバスの運転手は65歳は過ぎているようにみえた。今日は雲が多めだけど晴れている。

片山真妃

どちらへ?
2019年5月15日

8時。強烈な騒音で目がさめる。朝の5時ぐらいまで飲んでいたからもう少し長く寝ていたかったのに。音はレジデンスの隣にある巨大な鉄柱の方角から聞こえてくる。なにやら作業が始まったようだ。そういえば、一昨日の昼ぐらいにピンポンが鳴って、ドアを開けると着古した作業服を身に纏ったおっさんが、今度鉄柱の塗装作業をしますからよろしくと言っていた気がする。彼から沸き立っていた酒とタバコと加齢の匂いが強烈すぎて、そのお知らせは全く頭に入っていなかったようだ。そして、あの堪え難い匂いが、鼻の奥の方に思い出され、もう寝ていられなくなってしまった。
9時。一階に降りると、Ongoingで今展示している飯川くんがソファーで寝ている。机の上はウイスキーと炭酸水と氷の容器。昨晩、彼と個人的な身の上話を色々としたんだったっけ。おはようと挨拶をして、作り置いていた豆乳で作った豚汁を温め、ハムを敷いた目玉焼きを焼いて二人で食べる。昨日の続きをとばかり、とりとめのない話をしていると徐々に目が覚めてきた。レジデンスで作家と交わす、こうした何気ない会話が好きだ。その人となりが見えるから。
11時。今日は水曜日だから大学で講義をする日。飯川くんともう少し話をしていたかったけど急いでシャワーを浴び、黒のラモーンズTシャツに袖を通す。気合い装着。エンジンをかけて西へと向かう。1時間ぐらいのドライブ。大学への道程は、両親が暮らす実家のそばを通りすぎるのだけど、その昔、よく兄と通った釣り堀が目に入ってきた。どうやら随分前に潰れてしまった様子で荒涼としている。ふと、釣り堀の店主の右手の薬指がなかったことを思い出す。いつも罪悪感をもって、その薬指を盗み見ていた記憶が脳裏に浮かぶ。
12時。大学に到着。教職員用の学食で昼飯をとる。8階建ての最上階にある食堂で、眺めは悪く無い。多くの講師や助手たちが楽しそうに話をしながら食事をしている。一人で食べているのは自分ぐらい。20年以上前、学生としてここに通っていた時と変わらない。ただ、当時も今も、一人で食べるのは嫌いではなく、むしろ気分がよい。寂しいのが好きなのだろうか。色々な人がいる。
13時。授業開始。京都から出てきたばかりという生徒の発表。なんでもいいから自分の興味のあることをみんなにプレゼンしてくださいという課題。彼女は枯山水について熱く語ってくれた。中世民衆社会においては、造園に従事していたのは被差別民であったという話が印象に残る。学生たちは自分の知らないことを色々と知っていて関心させられることが多い。しかし、自分が大学で講義をするようになるだなんて、学生の時は思ってもいなかった。
15時。帰りがけに実家による。この春から、甥っ子が大学に通うために上京して、自分が昔使っていた実家の部屋を彼が使うことになった。その部屋に長らく置きっぱなしにしていた荷物を全て片付けなければならず、今日もそのために寄ったのだ。昔撮った写真のアルバム、日々の気持ちを綴ったメモ帳、MDやビデオのカセットテープ、当時着ていた洋服、哲学や美術の本、その他もろもろ。一つ一つに膨大な量の過去の記憶が詰まっていて、それが思い出されるたびに、どうしてだか悲しい気分に襲われる。どれも悲しい過去なわけではなく、むしろ愛おしいものなはずなのだけど。まあ記憶とはそんなものなのだろうか。甥っ子は、昔の自分と同じ大学に入学したのだけれど、彼も20年後、同じような感覚に襲われたりするのだろうか。緑が生い茂った実家の庭を見つめながらそんなことをぼんやりと考える。それぞれが作り上げた膨大な記憶の集積は、最後には何処に消えていってしまうのだろうか。
16時。吉祥寺に戻り、二人の娘のお迎えに行く。世界で一番大切なもの。レジデンスで、妹の宿題を見てあげた後、お姉ちゃんを英会話のレッスンへ。恰幅の良い外国人の女性講師が「You like Ramones?」と話しかけてきて「Sure」と即答する。悪くない。1時間の待ち時間の間に夕飯の食材を買ってしまう。赤いパプリカとバジルとナス。レッスンが終わり、娘たちを、もう自分は住んでいない二人の家へと送り届ける。バイバイ、マイ、エンジェル。
19時。Ongoingに顔を出す。テラッコ数名と、飯川くん、春佳、そして大木さんがいた。少し話をして自分の家に戻ってきた気がする。さて、漸く自分の時間がやって来た。仕事をしないと。
20時。レジデンスにもどり、鏡を前にして、そこに映った顔を見る。あれ、こいつは誰だっけ?

 

小川希

時間を爪弾くことができたらいいのに

この人と会うのは、これが最後じゃないという感じがちゃんとする。外国で友人ができるとそう思う。だからこそ、なんとかさよならできる。(また会おう!でも、Instagramであなたが山を登ったりイカを釣ったり服を作ったりした写真を見ることができるなら一生会えなくてもいいような気もする。)とにかくお元気でね。

赤ちゃんは、後でとか明日とかがあるってことを知らないから、全部のことが最後みたいに感じているらしい。(そして赤ちゃんが明日を獲得すると、約束を交わしあう言語的、社会的な存在に変身する。)

赤ちゃんじゃないけどそういう感じ方をしているらしい友人がいて、カレンダーや新幹線が苦手な彼は、どんな風に時間や場所を捉えていたんだろうな。

 

わたしは遅刻癖がある。なんでかわからないけど、飛行機にすら乗り遅れてしまう。もーやだ。約束事が近づくと、楽しみにしていたことでも途端に崖っぷちみたいな気持ちになってしまう。間に合わないといけない、と思って、緊張してしまう。ていうか、これを書いてる今も遅刻してる。さらに、加筆している今すらも。走る新幹線の掴まれるところを見つけて、なんとかつかまってるけど振り落とされそう〜でも捕まってるうちは安心、みたいな感じがする。短い時間のことを考えるとほんとーに息がつまる!ほんとうに、遅刻ばかりしてすみません。わざとじゃないんだよ。。

明日に頼りきって時間を引き延ばして生きている感じも持っている。今のこの時間は今なんかではなく、昨日と10年前で構成されている。ずっと追いつけずに、昔の日記をまだ思い出しながらたまに手を入れたりしてる。そんなの日記ではないだろ!しかし楽しい。(続く)

……

練りゴムを伸ばすと、朧な感じの細かいゴムがふんわりと机に静かにほろほろと並んだり、一本に細長く粘りを持って伸びて柔らかく細くなった臨界点が自重に耐えきれずに横たわったり、バチンと一瞬強いねばりの「薄い間」をつくりそこから力強く千切れて「薄い間」はそれぞれの切れ口に律儀に丸まる、とか、まあこんな風にちぎれたりするんじゃないかな、とにかく、私の言葉で書き起こしてみるとそうだな。

これを例に、引き延ばされている時間の姿を想像する。例えば、この延び延びの時間の3つのイメージを分割したり、リニアにするのではなく、ずっとちぎれのびてを再生し続けるそれぞれの練りゴムが隙間を開けながら重なっている多層的なイメージが時間だとしたら、それを琴を弾くように時間に触ることができるのかもしれないな、とか。映画や音楽を作るときのように、わたしが今生きている「この時間」を触ることができたらどんなことが起こるのかなーとか思う。延びたものがちぎれに向かう理由は「約束」の有無だと仮定してみれば、約束があるから時間に間に合わないとということが起こる。(もっと考えたいことだから、ここにはこれ以上書けないかな。。)

ていうか、ここはどこなんだろ。飛行機の中で、ベトナムからマカオへ行く途中のこの場所の時間は今なんなんだろう。時差は一時間だけどどっちか。日が沈んだのをさっき見たのでその感じ?わたしに規則的なリズムを与える時間とはちがう時間を感じている。振られたメモリと同じ分量の時間を過ごすことがわたしには難しいけど、大きな移動をしているときだけは時間を迎えに行っている感じがする。でも、、、あーもう疲れた、思いの外長くなった。から、今日はおしまい。すみません文章がめちゃくちゃだわ。5/15 14:15

 

うらあやか

ごどぶげじょぴゃぎょの
2019年5月14日

最近は生まれて数ヶ月になるまだ言葉を持たない息子によく「んぐまーま」という絵本を読み聞かせている。

うやむやむ
なむばなならむ

みょぷらぬのに?

だばがじで
ごどぶげじょぴゃぎょの
ぜどげごび

谷川俊太郎さんの文は、もはや詩でもないような意味をなさない音が並ぶ。絵は大竹伸朗さん作で、こちらもよくわからないが混沌から生まれた謎の生物が冒険し、母のいる家に帰る(と思われる)様子が描かれている。
絵に合わせて文が書かれたのか、文に合わせて絵が描かれたのか気になるが、総じて意味不明で良い。

読み聞かせると息子は真剣に絵を見つめる日もあれば、さっぱり興味なくそっぽを向こうとする日もある。まだ言葉を持たない息子には音の肌触りだけが伝わって、この意味不明な文章も私が話しかける言葉もあまり大差ないかもしれない。

この絵本を読んでたら、昔読んだ井筒俊彦の「意味の深みへ」という本を思い出して、最近引っ張り出してきて改めて通勤電車の中で読んでいる。
言葉を覚えてしまえば、何を認識するにもまとわりついてくる言葉の意味文節作用。
絵本を読みながら意味も無意味も同等に大事だと改めて思う。

 

2019/05/09 石と6
2019年5月10日
  1. 朝8時40分に目が覚めて、つら、もうちょい寝よと思ったけどなんかメッセンジャーの連絡返してたら8時45分に「おはようございます!」ってメッセージ来ちゃって、アワ~オンラインですけど寝ているようなもんだということを、ア~。わかってほしい~。と思って目を閉じてじっとするけれど観念した気持ちになって5分後くらいにもう一度ケータイの画面を開いてご連絡する。

 

眠いという感情が全てに先立って、厳しい気持ちだった。
お腹すいた…とはいえ眠い、でも展示前日の飯川さんの身になって考えてみたら…眠い。身になっても眠い、など、あとで時計を見たら40分くらい布団でのびていたけれど、ミントに水あげてと言われたことを思い出す。
「ミントに水あげておいてほしい」と言われた声で目が覚めたんだったと思い出す。

 

それで起きあがってベランダにあると言われた昨日植えたらしいミントを見たらかわいくてうれしくなって写メとった。水をあげるとその水流の強さと土がふんわり盛ってあったことがあいまって根っこがかなりむき出しになって、そういうとこだぞ。となんとなく思う、うちでは植物をどんなに世話しても二人掛かりで軒並み枯らすのを、なぜか枯らす、と自動的なこととして捉えているけれどこういう自分で意識が行き渡っていない細かいとこが普通に原因かもしれないという気づきとなるできごとだった。

 

通勤中茶トラ猫が道を横切るのを見て猫が横切るのを見るのは今月3回目。クリームイエローの外壁の家を見て、赤と青と黄色どれが好きかと聞かれたら昔は青だったけど今は黄色だな、青はシリアスな感じがよくて黄色はなんとかレンジャーとかでも大食いの人とかお笑い系のひょうきんな感じでそれは受け入れられなかった、青はセーラーマーキュリーだもんな、でも赤青黄色とか言われなかったらセーラージュピターの緑がダントツ好きなんだけど…、と思いながら大通りを渡って自転車屋の横を通る。この乗ってる自転車は知り合いの人に作ってもらったんだけど黄色がいいと言ったら葡萄色だった、と思う。それもメッチャかわいくてよかったんだけど、作ってくれる前に自転車ってもののイメージは?と聞かれたから大きい犬!!!って言って待ってたら鳥をイメージして作りました!と言われてびっくりした自転車で、可愛いからいいうれしいと思ってもう4年乗ってるけど、片側調子悪いブレーキを直しに行く手間をかける愛情がいまいちないことに誘発されてかなんかわかんないけどもうぜんぜん鍵かけてない。と思いながらオンゴーイングの前に自転車をとめる。
ペンキを塗って、時間になったので店を開ける。ペンキ塗りは、やってると、その時間と別の時間を比べる余地がないというかもはや眠いとか思えなくて結構よかった。

 

鶏もも肉と手の色が似すぎではないか、と包丁で切ってる最中に発見する。
とすると、肉の色がこれで皮がこれなんだから、鶏って色白なんだなとフライパンの上で皮目を下にしながら思った。
血がかよっていないから?
フォー仕込む。

 

スコーン仕込む。
夕方ごろ、きのう、「今日ですか明日ですか?」と聞かれて「明後日です!」とお伝えしたいたるさんから日記がきのうにとっての明日のいま送られてきて、一瞬、「どうしよう。」と思う。
思うけど実際はべつにどうしようってこともなくて、そのまま記録すればいいだけだなと思いなおす。このリレー日記のルール(というか仕組み?)は大したルールじゃないというかこういうことを起こすためにルールがあるくらいのルールで、色々その人自体であることがそれぞれ現れてそれがよい。

 

店閉めて搬入手伝いをみんなしてるので手伝うが動きが鈍かった。
「きげんがわるくなる前に帰ります!」と日をまたがず帰る。
作業をしていた人たちが体感より時間が経つのがはやい!と言っていて、手伝ってみたら確かにそうでそれは自分の体の中で自分で考える、みたいな時間が殆どゼロになるからかな、と思ってそれはいやかも、楽しいに見せかけたつまんないかも〜とチャリこぎながら、でもそうではない状況の今でも目がなんにも捉えないというかゼロのまましばらくチャリこいで、街灯と同じくらいの背丈の、街灯の道挟んで反対側に生えている木のはっぱが小さくてたくさんあってチラチラとちょうどその街灯に照らされて細かく光って、”これははげまされるな”という言葉で思った、そのあと目に入った踏切の黄色いバッテンに「石 6」と書いてあって、石と6って似てるんだと初めて気づいた、坂を下るとその前にあくびをしたなみだが目のキワに留まっていてそれが風をうけてつめたいのとあくびの後のなみだあたたかいのが両方、つめたいのかあったかいのか、甘い?甘いが近いかも…と思いながら家に着く。

 

 

 

もうちょっと…と思ったら寝落ちしてていま朝書いてるんだけど、ただちゃんから更新したよ〜!とメールが来て、一瞬「どうしよう。」と思う。
でもどうしようってこともない。
わたしが言ってることは誰にも誤解なく伝わらないのかも。この世界、犬の自転車も、日付も、と思ったら、普通にわたしが日付の伝えかたを本当は11日の土曜日のところを10日の土曜日だと(いたるさんにもそう)そもそも間違えていたんだと判明して自分側に原因がある可能性の高さ、と思った。

 

齋藤春佳