昼も薄明

そういえば暫くの間、スピーカーを通して音楽を聞いていなかった。大きい音量で聴くと、音が部屋中ぐるぐる回っていて気持ちがいい。Frank Oceanの、Self Controlという曲が大好きなので何回も聴く。「国境は閉まっている」のが今の世界の、憂さの一つなので、目をつぶって、それを聴く。身体が遠くに行っている画像を五感にリクエストする。

//////私は、Sのことを安全で、絶対に私を傷つけたりしない人間だと思っていた。しかし、その正体は、S本体ではなかった。彼は、勤勉なプロテスタントに紐付けられている、安っぽい「実力が同じだから頼れる」を体現してくれる偶像。競争が好きで、デモクラティックなものを信じている。私にもそういう所があるから、たまたま同じパーカーを着ている人を街で見かけた、くらいの偶然性でしかなかった…。それが分かっただけでも十分だと思う。
その証拠に、こちらから手を離さなくても、「あちら」から、離してくれたわけだし。

自己と他者の境界は、細胞膜みたいなものだと、この間、誰かが言っていた。受け入れるものがあれば、受け入れるとして、排出したいものは、そうして取り込まないようにする。私は、31年間生きてるけど、まだ出来てるとは思えなかったし、むしろ私にとっては、潮の満ち引きみたいに、勝手にやって来たり去ったりするものだった。だから、細胞膜というアイデアは晴天の霹靂だった。ほんとに、嵐がやんで、ぱきっと快晴になるような。今日、読了した柴田元幸さんの本。氏が、翻訳を始めたのは35歳の時だったという。「境界」を細胞膜として受け入れることを始めたとしても、ちっとも遅くないと、この間31歳になった私は、身勝手な解釈をした。お腹の底から喜びが、がんがん育ってくる。私は運命を受け入れる時を待つのだ。

多田佳那子