ソーシャルディスタンシングとかオンライン授業とか、そもそもの前提条件の変更から要請されてなにか新しいものを考えるのはけっこう好きだったはずなんですが、なんか今回のコロナウィルス禍は、自分の芸術観を上手く更新したり新しいアイデアに転換したりがまだできてないなあという感じです。
ここ数年は特に、フィジカルコミュニケーションを無理やり引き起こしたり、身体でいろんなことを感じたりするような、日常とは違うオルタナティブ体験がアートの醍醐味の一つってのにちょっと強く引っ張られすぎていたからかもしれません。
いま働いてる大学は青森県にあって、それほど感染拡大していないこともあり、先月のゴールデンウィーク明けからマスクをしながら対面授業が始まりました。
今日は彫刻の授業で、3年目3回目になる、鉄のなまし線で人体をつくる課題をやってもらってました。
仮にこれをオンライン授業でやるように想定してみたら、自分が、彫刻専攻でもなく、そもそも造形体験があまり多くない学生に対してやりたかったのは、鉄の固さとか重さとか冷たさとか、でも意外な軟らかさとか、上手くコントロールできなさとか、それに慣れてくる感じとか、油のにおいとか、油で汚れることとかを、身体で感じるっていう彫刻以前のもっと原始的な体験をさせてたいってことなのかなと改めて思って、日差しの下で鉄線と格闘する十代の姿は眩しいなあと思いました。
日光の熱さを感じながら作業したり、隣のクラスメートが振り回す鉄線が当たりそうになったりするようなノイズも含めた経験が重要だと思っているのかもしれません。
てか今年は、アントニー・ゴームリーの作品を最初に紹介しすぎて、みんな等身大以上で作品をつくりだして、なまし線が足りなくなってしまいました。
途中で慌ててホームセンターまで買い出しにいって、担いで帰ってきたらえらい汗だくになって、自分もかなりフィジカルなんとかを感じた一日になりました。