庭と思い出

私は、中途半端に人に近づき過ぎる。沈黙も内緒もあるけど、たまにものすごくテンパーになって、あれもできる、これもできる!ってハイになってしまうのだ。反省。
小さくても成功体験を作る。
一日3分でもそれに近づく作業をする。
事務作業を愛する。
地味な仕事をする。
アパートの隣のビルが取り壊された。近づいて見てみると、家は一つ一つの煉瓦でできていたことがわかった。
去年、日本語で直訳すると、「くり返すことは愛」という作品を作った。線を引く。粘土をこねる。字を覚えるために何度も書く。色を塗る。積み上げる。
Etel Adnan という、レバノンの作家を私は尊敬しているのだが、彼女のインタビューで、「西洋思想は手仕事と魂を切り離し、手動的な仕事を思考から切り離したけど、物を作るということ自体が、思慮と想像力で作られた果物なのです。」というようなことをEtelは発言していた。アルチザンの仕事そのものが、黙々と山を登るような、地味で寡黙な仕事の印象があるが、物を作る(produce)ことは、コンセプチュアルな行為でもあることを、Etelは示している。日本語的表現で言うと、手と脳は繋がっているということだろうか。今秋は、工房に通って、もっと深く潜れるように、手を進めたい、突っ込みたい。