1歳児とホモ・サピエンス

今朝は4時半に起きて、いつも通りコーヒーを淹れる。最近はいかに自分の自由時間を捻出しようかと考えて、早起きしてこの早朝の時間を読書や映画や諸々の作業にあてることにしてる。今朝ここ数日読んでた子どもとことばという新書を読み終えた。この本、息子がが生まれてすぐの頃に一度読んだけど、最近自ら言葉を発せるようになってきたり、こちらの言っていることを理解し始めているので読み返していたのだ。
子どもの言語の発達過程には、人間の人間たる所以みたいなものが見えてきてとてもおもしろい。
例えばこどもが言葉を発する前段階で行うようになる、指さし。ことばは自分とは遠く離れた対象を表現することができるけど、この指さし行動を経ずしてことばは現れないというのはとても興味深い。直接触れてしか指示できなかった段階を経て、離れたものを指示できるようになってくる。言語は人間固有の能力とされているけど、この指さし行動も人間固有の行動らしく、他の動物では直接手を触れて示すことはあっても、自分と離れた遠くのものを指先で指示することはないらしい。
そして言語の象徴機能。言葉は対象を、対象とは本来関係のない音声で置き換える、象徴する作業ともいえる。これは様々な段階を経て、対象が目の前になくても頭の中でイメージすることができて初めて可能になるよう。これはおそらく人間がなぜ絵を描くことができるかという問題と大きく繋がっている。今から3万年前。それまでのヒトが人類になり、初めて絵を描くことができたその瞬間にはシンボル機能の進化があった。描かれた場所が、動物の見えない洞窟の奥底であったことは、目の前の対象を写したのではなく頭の中の表象を出力したことを説明してるし。人間が言葉を話せることと絵を描けることって表裏一体なんだなと。
とまあ、考えてみれば当たり前のことなんですが。